2013-06-19

荒野に叫ぶ者の声。

帰宅して久しぶりのNJの朝。
「おお、帰ってきたんだなあ」という実感が湧いてきます。
特別な1週間を過ごしてきたことを感じます。感謝。本当に感謝。

朝はまだちょっと昨日の雨の湿気が残っている感じですが、
今日は一日カラッと気持ちよく晴れるようです。

さて、今日はまず、先週の土曜日15日の「日々のみことば」から。
15日はルカによる福音書20章。

「ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」4節。

この言葉は実は、私の心に深く響きました。
ちょうど、荒野の中で過ごした一日のことです。




私自身、その姿勢に疑問を感じないではいられない同労者のことをどう受け止めるのか、ちょうど課題を感じていたからです。

そして、この言葉を読んで、思いめぐらしました。
自分はやはりこの人々と同じように「わかりません」と答えて来なかったか。
この祭司長、律法学者たち、長老たちと同じなんじゃないかと。

祈りの中で、本当に自分が謙虚にならないといけないこと。
神様が愛して立ててくださった者たちとして受け入れ、
かつ、自分は自分の使命に立っていくこと、その大切さを思わされたのです。

そして、反対に、私に対して同じような思いを持っておられる人たちもいるだろう。つまずきを与えて申し訳ない気持ちを持つと共に、一人一人に、私に語ってくださったように主が語ってくださるようにと祈りました。

そして、夕方には1時間くらいドライブをして、
更に砂漠の奥の方に進んでいきました。
途中は、見渡す限りの荒野。

これもクリックすると大きくなります。



そして、神様はアーティスト。
私はセンスがないので、その神様のアートを上手に伝えることはできないのですが、
岩山をこんな絵の具で飾っています。


土曜日の聖書箇所のバプテスマのヨハネは荒野で叫ぶ声。
こんなところで声を上げて、
でも、そこに人々が集まってくる、ってどういうことなんだろう、と思いました。

私たちが伝道する時に、立地条件とか、いろんなことを考えるし、それは大切だと思うけど、それ以上に何を語るのか、何を伝えるのか、そちらの方がずっと大切だと思わされます。神様を見上げつつ、神様に聞きつつ、歩みたいと思いました。

主よ、
何よりも、私自身があなたとの関係の中で、あなたの声に耳を傾けながら、歩んでいくことができますように。

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