2013-02-03

春が来る。

今日は2月3日、節分ですね。冬から春になる日。
明日は立春です。いよいよ、どんどん春に向かっていきます。
そして、昨日はこちらでも、Groundhog Day。
冬眠からさめたグランドホッグが、自分の影を見ると春がすぐそこ。冬もあと2週間。
でも、自分の影が見えないと、冬はあと6週間。3月の半ば過ぎまで冬が続くという、誰がそんなしょうもないことを考えたんだろうという、日です。

雪は・・・5センチなんて予報を変えなければ良かったですね。
はい、最初の予想どおり1センチでした。

で、今年は冬はもうすぐ終わります。ハイ。
もちろん、寒い日はあるかもしれませんが、長続きしません。
今週はちょっと寒くて、小雪の舞う日があると思いますが、
週末はまた暖かくなると思います。
そのあと、来週半ばから寒くなって、雪の降る日もありますが、
三寒四温。だんだん暖かくなるし、何よりも、日が長くなってきますから、ちょっと寒くなっても大丈夫。楽しみに春を待ちましょう。今年は何の種を蒔こうかな、どんなキノコを育てようかな、と。

今日の礼拝は、自分自身は本当にエキサイティングでした。
神様は私たちを豊かに祝福しようとしていて、
ただ、私たちが信じていない、期待していない、求めていない、それによって、神様の御業を止めている、それを感じて、もっともっと大胆に求めようと思いました。
また、私たちはつまずく時に、それは、自分がいつも同じくらいスムーズな地面を期待しているから、だから、急なデコボコがある時に、つまずいてしまう。
そして、つまずいた時に、私たちは必ず、デコボコを責める。「なんでこんなところに穴があいているんだ」「なんでこんなにデコボコなんだ」と。
でも、つまずいた時にもう1つ見るべきものがある。「自分が平らだと思っていたその期待の方には問題はなかったんだろうか」ということ。
つまずいた時には、自分の期待や思い込みを手放して、神様に自分の身を委ねるときなんじゃないかと、そんなことを思わされました。

今日のメッセージの音声ファイルはこちら。
ちょっと長いですけどね。30分以上も話していました。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日は創世記34章でした。
今日のところはきつかったですね。シケムの悲劇。
ヤコブの娘がある町の有力者の息子に辱められて、妻にしたいと言われて、
でも、そのお兄さんたちは怒って、その町の人たちをだまし討ちにして、虐殺した、と言う話。

「わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか」31節。

この言葉、ちょっときついと思っていた。
でも、考えてみたら、何度も読んでみたら、この兄たちの言葉の意味がわかるように思った。だって、辱めておいて、気に入ったから嫁にくれと言って、そして、「金はいくらでも払うから」というならば、やっぱり、金で買われたってこと。

この兄たちの言葉の通りだと思った。

だからといって、この行動が正当化されるとは全く思わないけれども。

本当に人を愛することの意味を思わされる。
ある牧師さんが本の中に書いていたこと。
「自分は本当は妻を愛していると言いながら、妻の自分にとって都合のいいこと、を愛しているのではないか、もっというと、妻の中の自分の『成功』のために役に立つところを愛していたのではないか、それは妻自身を愛しているのではないのではないか」そんな意味のことを書いておられた。相当赤裸々だなあ、と思いながら、でも、ドキッとした。

妻のこともそうだし、教会のお一人一人のこともそうだ。

自分にとって都合のいいところだけを愛するのではなく、本当に愛することを教えていただきたいと思わされた。

主よ、
愛することを教えてください。
人を利用するのではなく、愛することを、大切にすることを教えてください。
そのように生きることができますように。


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