2011-06-27

ちいさいな。

一番の失敗は先週の金曜日に、
「月曜日の朝に修理に行っていいですか?」という電話に、
「Sure.」と答えてしまったことだった。


実は1ヶ月前からコピー機が、2つあるトレーのうち、
1つからの紙を上手にfeedできなくなってしまっていたのだった。
1回見に来て、「これは部品が必要だ」と言われ、
「来週の初めに電話するから・・・」と言っていたので、
待っていたのだが、全然電話が来ない。
こっちもそんなに時間が取れないので、
コピー自体はその残った1つのトレーから給紙して取れるもんだから、
こちらから電話もしていなかったのだけれども、
さすがに1ヶ月近くたって、「どうしたの?」と電話した。


「電話したんだけど通じなくて・・・」と見え透いた嘘をつかれたのですが、
まあ、それは笑って赦して、で、「月曜日に修理に行っていいか?」となったわけです。


ま、いいか、と思って、今日、休日にも関わらず、
ちゃんと休まずに、教会オフィスでコピー機の修理屋さんを待った。
「なかなか来ないなあ」と思いつつ待つこと1時間半。
そして、それから昼を挟んで、作業が終わったのが3時間半後。
それで、ろくな説明もなく「部品変えたんだけど、ダメだった」と帰っていった。


9時から2時まで・・・、気持ち的には休みモードなんで、
ぼーっとしていたのですが、寝ることもできず・・・。


直さないで帰られた折には、さすがに行き場のない思いを持て余しておりました。別に彼が悪かったわけでもなく、エアコンもない部屋で汗びっしょりになって作業してくださったわけで、責める気持ちにもなれないんですね。


帰って、一人で「スタ丼」作って食べました。


なんだか、そんなことでイライラしたり、腹を立てたり、時間を有効に使えなかったり、なんだか、もう自分の小ささを思いっきり感じさせられる休日でありました。


さて、今日の聖書。
そんな一日、朝一番には何を思わされていたかと言うと・・・。
聖書の詩篇の109篇を読んでいました。


「祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。」17節。


朝にはこの聖書の箇所を読んで、
「ああ、人を祝福しない人は、自分も祝福を失っていくんだな」と思わされていたのです。

自分は人を祝福する歩みをしているだろうか?
人に出会った時に、その人を祝福する祈りを心の中でしているだろうか?
その人を祝福する言葉をかけているだろうか?

そして、周りの人一人一人に、教会の一人一人に祝福を祈っているだろうか?

そう思って、「祝福を与える人、祈る人になろう」と思ったところだったのでした。

御言葉を読んでいるのに、
そして、語られているのに、
そのように生きられない、小ささを思い知らされたのでした。

神様、
祝福を祈るものとならせてください。
祝福を与えるものとならせてください。
教会の一人一人、出会う一人一人の祝福を祈ります。

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