2011-06-30

忘れるなよ。


今日は「ひがきゃん」最終日。
迎えに行ってきました。

すごーくよかったようで、
みんな大興奮、特に、初めて「ひがきゃん」に参加した子たちが大喜びしていました。
迎えにいって、その後、しばらく我が家で休んでいたんだけど、
賛美大会になっていました。(笑)


自分もむかーし、よくやっていました。
うれしかったです。

そんな彼らとも話したのですが、
今朝Twitterで書きながら思い出していたこと。

自分が牧師になるための訓練を受けるために聖書学院で学んでいたとき、
同級生に目の不自由な方がおられました。
彼は奥さんと二人三脚で勉強をされていました。
ホントにおしどり夫婦って感じでした。

いつもは、ご主人が奥様の肩に手を置いて、
奥さんは一歩前を、ご主人は一歩後ろを、一緒に歩いておられました。

そんなご夫妻ですが、クラスによっては、夫婦別々なので、
私がその奥様の代わりに、ご主人と一緒に歩く時がありました。

私が彼の一歩前を、彼は私の肩に手を載せて一歩後ろを歩きました。
なんだか人の役に立っている・・・という満足感もちょっと心に持ちがながら・・・。

でも、そんなある日、一歩後ろを歩いていたはずの彼が、ゴツンと柱にぶつかったじゃあないですか。

そう、いつの間にか、彼の存在を忘れていたんじゃないんですが、
自分のことしか考えていなくて、柱に彼がぶつからないように注意していなかったんですね。

これは、自分が、夫として、牧師として、自らを省みる原点となっています。
忘れているわけではないんだけど、自分は自分のことばかり考える傾向がある。
だから、みんな柱にぶつかっていないか、と立ち止まって回りを見る必要があるんですよね。

はい、もっともっと人のことを大切にする者となれますように。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の112篇。


「彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。」7節。


この言葉は4月の11日の日記でも触れたのですが、
多くの訳で「悪い知らせ」と訳されている。
英語の訳を見ても、ほとんどが同じように訳されている。

でも、共同訳では「悪評を立てられても」と訳されている。
英語ではThe Messageがそうだ。

そんな時にも恐れない。

そんな強いものを自分は持っているだろうか。

それは「神を信頼しているから」なんだ。
やはりどこを見ているか、誰を見ているのか、それが問われているのだと思う。

主をしっかりと見て歩ませていただきたい。
主を見上げて歩んでいきたい。

主よ、
あなたのことをしっかりと見上げて歩めますように。
人のことばかり見ることがありませんように。
悪評をも恐れない強さを与えてください。

2 comments:

  1. 今週末は教会で礼拝がないそうなのですが、どこで礼拝をもたれるのですか?
    御教会のHPを拝見したのですが、記載されていなかったので、よろしければ場所と時間を教えてください。
    また、修養会参加者でなくても、礼拝だけに出席することは可能なのでしょうか?

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  2. Anonymousさま、

    はい、大丈夫です。場所はこちらです。
    http://www.eddyfarm.com/
    午前10時からです。

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