2011-05-04

神様を見上げる。

今日は予報通りと言うか、
予報を遥かに超える本降りで、
花粉が流れて行ってくれていると思います。
その割には「花粉が飛んでなくて今日は絶好調!」とは行きませんでしたが、でもやっぱり楽だと思います。買い物にも安心して出かけられました。


そこで買ったのが「イチゴ」。
何年ぶりでしょうか、イチゴを買うのは・・・。
のんちもあまり買っていなかったですね。
9年くらい前からアレルギーでたべられなくなって、
あきらめていたのですが、
昨日、TV Japanを何の気なしに見ていたら、
ケンタロウさんが「イチゴのコンポート」を作っていて、
お、これからきっと食べれると思って、
買ってきて、作りました。
10分でできます。




熱いのをアイスクリームに添えて食べるのがいいそうで。
早速今週Turkey Hillが特売だったので、
他ではあまり見ない(高いアイスは別ですが・・・)ラムレーズンに添えて。


おいしゅうございました。


ちょっとクセになるかも。


さて、今日はのんちは夜9時は入りで夜中の2時までそして、朝の7時から昼まで。だから、その合間、日本時間の夜の2時半頃に電話しました。電波もあまりよくないようで、連絡が今まで通りには取れないかもしれません。ま、「便りがないのはいい便り」ということで。


あ、そういえば、日本時間ではもう5月5日になっていますが、こちらも間もなく21回目の結婚記念日。ここまで守られたことに心から感謝。神様に感謝。


日本では「こどもの日」。明日は下の娘の学校で、日本の紹介があるそうだ。月曜日には個人的に校長先生に会ってきて、一緒にのんちが、塩釜や石巻で撮ったたくさんの写真を見ながら、どれほど大きなことが起こったのか、どれほど大変な中に人々がいるのか、そして、そんな中で、人々が助け合っていることがどれほどの力になっているか、語り合った。写真の中から、先生が「助け合うことの大切さ」を表している写真を選んでくださった。日本の子どもたちにとっても、こちらの子どもたちにとっても、幸いな「こどもの日」となりますように。


さて、日曜日から今日までの聖書。
民数記16章。


「あしたの朝、主は、だれがご自分のものか、だれが聖なるものかをお示しになり、その者をご自分に近づけられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近づけられるのだ。」5節。

この16章の出来事はモーセの権威への挑戦の出来事だった。
今まで、ここを読むたびに、モーセはどんな思いだっただろうかと思ってきた。
権威に挑戦されて、どんなに苦悩しただろうかと。

でも、今年はここを読んで、モーセの思いはびくともしなかったのではないかと全く違う風に感じた。
モーセは神様を見ていた。神様が自分を立てたのであって、人々が自分を立てたのではないという確信と平安があったのではないか。

だから、はっきりと語る力もあったし、
ただ、惑わされていた人たちのためにとりなすこともできた。

首謀者が滅びたあとも、人々の不満がくすぶっていた。
それも、つらかっただろうけれども、
そこに沈んでいくよりも、やはり、人々のためにとりなした。

人を見るか?神の召命を見るか?

堅く立つ者でありたいと思う。
とりなし手とならせていただきたいと思う。

主よ、
どうか、あなたの召しに対して、忠実な者とならせてください。
あなたの導かれるところをしっかりと見つめて歩むことができますように。
人々の評価に一喜一憂することから守ってください。
21年間の歩みに感謝します。
これからもあなたの憐れみによって支えてください。

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