今日は神様からの幾つものギフト。
朝、教会で祈って外に出ると、
こんなに見事な朝焼け。
神様って芸術家。
しょっちゅう驚かせてくださる。
良いカメラも欲しくなるが、
まあ、いいとしよう。
そんなことを本気では考えなくなっている自分が、
ちょっと楽かな。
今週はこのあと、ずっと晴れ!
神様からのプレゼント。
そして、今日の家庭集会にも
たくさんの新しい出会いを与えてくださって、
感謝。
神様からの大きなギフト。
でも、そんな中でも、
今、一番の神様からのギフトは、
神様が私と時間を共有してくださることを、
喜んでおられるのだと、自然に思えることかな。
さて、今日の聖書。
今日は列王記第一13:11−19。
「そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。」19節。
昨日、清々しいほど、キッパリと、
ヤロブアム王の申し出を断ったこの預言者。
しかし、今日は、あっさりと、
この老預言者の言葉に引っかかってしまう。
自分の使命にどこまで立てるか?ということなんでしょうか。
他の預言者の言葉をどこまで聞くか、ということなんでしょうか。
でも、いくら預言者とはいえ、
見ず知らずの預言者の言葉に振り回されるのは間違いだろう。
自分の為にいつも祈ってくれている人が何と言うか、
それが大切なのではないだろうか?
祈られていることに感謝。
そして、祈ってくれている人の言葉を聞こう。
そして、私も一人ひとりのことを覚えてもっともっと真剣に祈っていこう。
主よ、
祈ってくれている人々のゆえに感謝します。
私も、一人ひとりを覚えて祈る者でありますように。
もっともっと祈ることを教えてください。
祈る喜びを満たしてください。
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