2010-10-06

自分がしてほしいことを、自分もしなさい。

今日は、ほんとに予報よりも良くなりましたね。
朝から青空が広がって、暖かくなりました。


2日どんよりが続くと、
青空が待ち遠しくなります。


明日も、晴れて暖かくなる予報が出ているのですが、
ほんとにそうなって欲しいところです。


今朝は、起きたときにはそれほど感じなかったのですが、
時間が経つにつれて、だんだん筋肉痛が出てきて、
どうしようかと思ったのですが、
さすがに、1日でギブアップはまずいだろうと、
今日は200Mほど長く、スピードもちょっとだけ上げて。
おかげで、体重も久しぶりに大台を割り込み、
BMIも肥満ラインの25.0まで下がってきました。


でも、走りながら、「高校生の頃は9kmを40分台前半で走っただろう」と思ったのですが、考えてみれば、それは、今の年齢の1/3の頃なんですね。体重も15-20キロくらい少なかった。やっぱり、自分の中で、高校時代なんてホンのさっき、って感じがしているんですが、自分はもうその後、それまでの2倍生きているんですね。無理がきかないわけです。ハイ。


ぼちぼちやろうと思います。


なんて言いながら、
今日もまた一つ、iPhoneアプリに出会ってしまいました。


Fit for Rhythm


筋肉痛と闘いながら、一通りプログラムをやると、
自分がいかにバランス感覚がないか、が分かります。
これでしょうね。自分の運痴な理由。


50歳での運痴脱出を目指して、ちょっと頑張ってみようっと。


今日の2つの集会で、分かち合ったこと。


「自分がしてほしいことを、人にしなさい」というイエスの言葉。


自分がしてほしいことはなんだろうなあ、と思ったら、
「わかってほしい」「理解してほしい」「共感してほしい」かな。


だったら、自分もそうしなさい、というのがイエスの言葉。
人を理解し、共感することを求められているのだろう。


「人を変えようと思わないで、分かろうとしなさい」


これはイエスの言葉ではありませんが、
時々、自分で自分を戒める言葉です。


自分が自分ではない者になることを要求されるのは辛いものです。
牧師の働きをしながら、「あの先生のようになってください」と言われるのは悲しいことです。そして、そのようなことを言われたあとには、しばらく、自分がどのようにしたらいいのか、混乱してしまいます。


でも、自分はどうなのか、
やはり、人を「変えようとしている」ことが多いのではないだろうか?


「自分がしてほしいことを、人にもしなさい。」
今まで、余り心に留めていなかった言葉だけれども、
今、本当に重みを持って、心に迫ってきている。


明日も我が家で集会がある。
新しい方々が何人も来られる。
人を分かろうとすること、
それを実践することができますように。


さて、今日の聖書の言葉。
列王記第一13章1−10節。


「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいりません。」8節。

神の人に癒してもらって、
神の人をもてなしたいと思ったヤロブアム王。

でも、神の人はそれをキッパリ断った。
それは神の命令があったから。
神が「何も食べたり飲んだりしてはならない」と言われていたから。

王に対して失礼と思われる言葉と行動。
でも、神の人はそれを貫いた。(ここまでは・・・)
神が言われたことだから。

自分はどうだろうか。

主よ、
あなたに従います。
あなたの導きに単純に従うものとならせてください。
恐れにとらわれることがありませんように。
そして、明日の集会でも、
あなたの祝福を満たしてください。
あなたの素晴らしさを大胆に語ることができますように。
あなたが命じられたように、
自分が理解して欲しいように、
自分も人を理解できるものとなれますように。

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