2009-12-03

元気の素は?

昨日の夜の雨も、今朝にはすっかり上がり、
朝から15度を超える暖かい日でした。


夜になってどこまで冷えるでしょうか?
10時過ぎでまだ10度近くあります。


土曜日の雪ですが、
たぶん降るでしょう。
午後から夜にかけて。


でも、あと42時間後くらいなんですが、
今だにコンピューターモデルによって、
東にそれるか(晴れる)、北に上がってくるか(雨から雪)、
予報が違っています。


明日の朝にはだいたいわかっているんでしょうか・・・。


火曜日のトークショーなんですが、
最後の方にこんな話をされていました。


「自分が元気になる言葉を5つ見つけてください」と。


・・・うーん・・・


何だろう、と考えました。
すぐに出てきたのは、恥ずかしながら、
「かっこいい」(笑)


いやあ、子供の頃からのあこがれというか、
あまり言われないから・・・というか、


そんな話をしたら、
「ホントに、心から『かっこいい』と思っている相手にはそんな言わないもんです」という意見もありましたが、そうなんでしょうか?だとしたら、どうして自分は言われないんだろう?という子供の頃からの疑問が解決するんですが・・・(笑)。


でも、その後2日間くらいずっと考えていますが、


「信じてるから・・・」(プレッシャーじゃなくて、心からの言葉として)とか
「最近、どう?」(特に遠くにいる人とか、余りそういう話をしない人から言われると覚えていてくれたんだなあと思う・・・)とか、


でも、この言葉、って訳ではないのですが、
自分が受け入れられているんだなあと思う時には、
元気が出ますよね。


お話をされた方のポイントは、
それを誰かに言ってもらうことを期待するのではなくて、
自分で自分を元気にする。
自分で自分にそのように語りかけて、元気を出す、
そのことの大切さでした。


そこで、私は、神を信じる者たちが、
聖書から、元気をもらっていることの意味を覚えました。


自分で自分を元気にする必要がない、
まして、人にそれを期待して、がっかりする必要もない。
主が、神様がわたしたちにこの言葉を語ってくださって、
元気を与えてくださる。
受け入れてくださり、
「大切な存在だ」と言ってくださり、
その証拠に、イエスを与えてくださり、
十字架でわたしたちの罪をあがなってくださった。


それによって元気を与えられて生きていくことができる。
これは特権だなあと思います。


元気の素が与えられていることに感謝。


さて、11月29日(日)の聖書。
ネヘミヤに進んで1:1-11。


「ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。」11節。

しばしば、主は、一握りの祈る人々を与えてくださる。
一握りの祈りだからということで、
共同体が一致して祈っていないからということで、
御業を留められることはなさらないで、
祈りに応えて、素晴らしい働きをしてくださる。

あのギデオンの300人のように、
一部の人々であっても、
真剣に主に従う者たちを通して、
勝利を与えてくださる。

ある人は、「みんなが一致しないと・・・」と言う。
でも、聖書は必ずしもそのような例ばかりを挙げない。

聖書は人々の一致の麗しさも記している。
でも、一握りの、霊的な世界のわかる人々を通して、
主の御業が進んでいく、
主が祈りに応えて、勝利を与えてくださる、
そのような例を記している。

一人また一人、主の前に進み出る人々が起こされますように。

主よ、
どうか、あなたの勝利を与えてください。
祈ります。私をその祈りの勇士の一人にしてください。
みんなで横一列になって、スタート出来なくても、
不安を覚えることがないように、私の心を守ってください。

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