2009-08-05

何が「あまりにも過酷」?

今日の雷雨は、家の方では、
ちょっと雨がパラパラ程度。
大したことありませんでした。
昼間は33度くらいまで上がり、
暑い一日になりました。


そして、夜になったら、涼しくなってきましたが、
明日は「秋の気配」の一日です。
昼間が25度くらい。夜は15度くらい。
ちょうど9月半ばの気温です。


先週の週末、NY州の高速道路で、
女の人が運転していた車が反対方向に走って、
他の車と正面衝突、その女性と娘、親戚の女の子3人、
そして、相手の車の男性3人の合計双方で8人が亡くなる、
という痛ましい事故がありました。


その運転者の体から、高濃度のアルコールと、
マリファナが見つかったそうです。
もちろん、まだ捜査の途中のことなので、
予断は禁物ですが、
恐ろしいことですね。


今夜、無事免許の取れたハジの隣に乗って、
ちょっと高速を走ってきましたが、
突然対向車が来て、相手が酔っぱらっていた上にハイになっていた、
なんていったら、目も当てられません、というか、
何もできません。


3人の男性のご家族はどんなに悔しい思いでしょうか?


そんなニュースを聞いた後で見た、
日本のニュース。


福岡県で3年前に学校の先生が、
酒を飲んで運転して、真夜中に他の車とトラブルになって、
警察に呼び出されて、翌朝受けた血中濃度検査で0.07MG/Lのアルコールが検出されたため、
懲戒免職になったのを、「不当な処分だ!」と訴えていた裁判の、高裁判決。
なんと、地裁もそうだったそうですが、高裁でも原告勝訴だそうです。
つまり、これくらいのことで懲戒免職するのは不当だ!と裁判所も言ったというから驚き。


「飲んだら乗るな」って、原則じゃなくて、鉄則じゃないんでしょうかね。


判決は「それくらいで免職はあまりにも過酷」だそうです。「社会通念上」そうだそうです。


みんながやっているんだから、いいじゃないか、ということでしょうか?
それくらい赦してやるのが普通だとみんなが思っているから、そうすべき、なんでしょうか?


「酒気帯び運転にならない程度のアルコールを保有した状態で運転したに過ぎない」って、何それ。
検査をしたのは翌朝ですよねえ。


酒気帯びで事故を起こしたときは、そこに残って、検査を受けて、酒気帯び運転での事故の責任を危険運転致死傷罪に問われるよりも、ひき逃げで逃げて、後で捕まった方が、酒気帯びの証拠をとられないので、まだ処分が軽い、みたいな感覚があるとも聞いたことがあります。


なんか思い出して、調べてみたら、去年の12月にも同じようなことを言っていますね。
去年の12月7日のブログ。
ああ、読み返してみたら、また腹が立ってきました。
同じようなことを繰り返し言うのも、年をとった証拠かもしれませんが、
これは、何と言われてもかまいません。
とっても不愉快です。「それくらいで、・・・」という「社会通念」が異常です。
酒飲んで運転しておいて、「自分の権利が・・・」という感覚がわかりません。


今回のNYの事故、本当に痛ましいことですが、
これによって、アメリカの「社会通念」も、この点に関して、
もっとはっきりとしたものになって欲しいものです。


さて、今日の聖書。
今日は第2コリント3章1-11節。


「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。」5節。

わたしたちはどれほど簡単にここに陥ってしまうことでしょうか。
いや、これは私には関係ない、という方々はいいですね。
でも、私はこのような言葉を読むと、主に感謝します。
このような言葉を持って、語ってくださった、注意をしてくださった、
戒めてくださった主に感謝します。

主が与えてくださる働きに感謝します。
今日も夜一人の若者とお話しをさせて頂いている中で、
彼が日曜日のメッセージをまっすぐに受け取って、
今取り組んでいることを分かち合ってくださいました。

主が与えてくださる働きに感謝します。
神様がそこに出会わせてくださっていること、
神様がみことばを与えてくださっていること、
そして、そのみことばを必要している人がそこに送られてきたこと。

すべて主の御手の中に与えられていることと感じ、
感謝します。

主よ、
あなたの与えてくださる戒めに感謝します。
あなたの与えてくださる出会いに感謝します。
あなたの与えてくださるみことばに感謝します。
あなたの御手の中で生きるものであり続けられますように。

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