今日は朝からいい天気でした。
気温も上がりましたが、
それほど蒸し暑くなく、
気持ちのいい夏の日でした。
今回は、もう1日、いい天気が続きそうです。
明日は33度くらいまで上がりそうです。
来週のJOYJOYキャンプの時は、
もう少し涼しいのを期待します。
「今週後半から秋の気配・・・」との、
大胆予報、どうなるでしょうか?
今朝、日本のニュースを見ていたら、
裁判員制度がものすごく注目されているようですね。
こちらには陪審制度がありますが、
米国籍がないので、時々手紙が来ても、
「国籍ありませんよ~」で送れば、出頭義務はありません。
ですから、ほんと、脳天気に生きているのですが、
もしも、選ばれたら、いろいろ考えさせられるでしょうね。
つまり、わたしたちは、普段は、
誰か他の人に、問題のある人を裁いてもらって、
自分はその責任から逃げているんですよね。
殺人事件などのニュースを聞いて、
「なんてひどいこと・・・」と思いながら、
心で裁きながら、でも、実際は裁く場から、自分は逃げている。
「死刑」宣告などはしなくていい。
法務大臣が死刑執行にサインをしすぎている・・・みたいな、
評価がされているのを読んだりしても、
「じゃあ、自分だったらどうするのか・・・」と聞かれたら、
頭を抱え込んでしまう。
死刑判決を受けた人がそのまま何年もそのまま守られて生きていく、
それでいいのか・・・。
死刑にも関わらないで、外側にいて、
そして、そこにサインをしなければいけない当事者の、
苦悩にまで心が及ばない。
実際の運用面でのいろいろな問題はわかりませんが、
原理原則として、
そのようなことごとから逃げないで、
国民の責任として、「罪を裁く」ということを受け取るために、
実は、私はこの制度はいい方向に日本の国を導いていってくれるのではないかと期待しています。
そんなことを考えると、日本の国籍をもちながら、
アメリカに住んでいる、ということの半端さを感じさせられました。
ちょうどあと半年でその気になれば国籍が取れる(いや、保証はありませんが)という立場になると、
ますます、いろいろ考えさせられるだろうなあ、と思います。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント1:23-2:11。
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。」2章4節。
caring enough to confront 対決するほど愛する
そのことを思い出しました。
私自身、対決してくれた人を、自分を愛してくれた人として受け入れているだろうか、
私自身、対決するほどちゃんと人を大切に思っているだろうか、
問われたように感じました。
波風を立てないで歩んでいくのはある意味易しいかもしれません。
楽しいことだけに目を向けていけば、Happyかもしれません。
でも、それはあまりに無責任。
そこまで愛する愛を与えてほしいと思いました。
また、あえて対決してくれる人がいたときに、
それを愛として、感謝して受け止めることができる大きさを、
与えてほしいと思いました。
神さま、
あなたの愛を与えてください。
受け入れる愛、受け入れるが故に対決すべき時には対決する愛。
自分も対決してもらったときに、感謝出来る愛。
あなたの愛を私に与えてください。
かきごおり先生
ReplyDelete梅雨明けちゃいましたが
毎年のように大々的な梅雨明け宣言がありません・・・
明日明後日はお天気下り坂ですし。。。
裁判員制度。。。
友達が、その関係の仕事をしているので
何年も前からパンフレット渡されたり
色々と聞いていると
不安が、募ってきます
まあ、、、選ばれるかどうかは分りませんが
ニュースでは
裁判員の候補者になったクリスチャンの人が
人を裁くということに
大きな不安を持ち
聖書に反しているのではないかと
苦悩する様子が流されました
>心で裁きながら、でも、実際は裁く場から、自分は逃げている
仰るとおりです
選ばれるも選ばれないのも
神のご計画だと思っています
今日の聖書
先生と同じところでした
厳しさの中に愛がある
旧ジャージーさん、
ReplyDeleteさっきも日本のニュースで、
台風の影響で東海から九州まで大雨、
ってことを言っていました。
なかなかスカッと行かないですね。
裁判員制度、
いろいろ考えさせられて、
やっと日本の社会も、成熟していくのかと思います。
何だか生意気ですが・・・。
裁く立場はつらいです。
やっぱり逃げることができるのなら、
逃げたいのでは・・・。
裁判官の方々のために祈ることの大切さを思わされます。