2009-01-05

補い合う。・・・そして補ってくださる神さま。

今日はいい天気でした。
でも、明日の午後からは雪のようです。
で、夜にはみぞれから雨に変わる予報が出ています。
その前に5-10センチつもるとのこと。
10センチ積もってしまうと、
雨が洗い流してくれる、ということもないでしょうから、
雪かきの雪が重くなるだけ、という怖さがあります。


気持ちの良く子供たちが遊べるような最初から最後まで
ばっちり雪、というのはなかなかないですね。


昨日の夜はちょっといろいろ考えて、
なかなか眠れなかったのですが、
いけませんねえ、おかげで、朝、目が覚めたら7時でした。
目覚ましに気がつかなかったようです。
朝の祈りの時にはこの半年くらいどなたも来られないのに、
今朝、たまたま、「祈ろう!」と6時に教会に来られた方がいたら、
大変申し訳ないのですが、まあ、終わってしまったことはしょうがありません。


で、今日になって思わされたのですが、
教会って、いろいろ欠けがある、それでいいんだと。
たぶん、教会の組織について、完璧なシステムってなくて、
だから、「この組織のこういうところが問題!」って騒ぐんじゃなくて、
では、自分はこの問題を補うために、何ができるんだろうか、
この問題を何とかするのには時間がかかるだろうから、
それまでの間、私は何をすべきなんだろうか、
そんな気持ちになる方々が育っていくことの方が、
「問題だ!問題だ!」と騒いでいた方々が、
私はこの問題を補うために何ができるんだろうかと考えるようになっていくことの方が、
ずっとずっと大切なことなんではないかと思ったのです。


コリント第1の手紙の12章25節には
「各部分が互いにいたわり合うためです。」とあります。


単純な聖書の言葉に単純に従っていくことの大切さを思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2:1-11。
カナという町の結婚式でイエスがされた奇跡です。


「ぶどう酒がありません」3節。

ああ、こういうの大変ですよねえ。
結婚式なのに、ワインが足りなくなっちゃった。
誰の責任?ああ、大失態。
自分だったらあたふたするだろうなあ、
ばたばたするだろうなあ、何とか届けてもらえるように、
一生懸命手を尽くすだろうなあ。
そして、無理を言って、何とかできたら、「ああ、よかった」と。

ちょっとコワイくらい、どきどきしてしまいました。

昨日の聖餐式も礼拝前にこれくらいでいいですよね、と数を聞かれて、
そうですね・・・と答えたのですが、
感謝なことにたくさんの方々が来られて、
足りなくなってしまうかも・・・と思いました。

でも、不思議なことに、準備した数と、来られた方々の数がぴったり同じ。
よかったです。

自分がばたばたしなくても、
神さまが心配してくださっている。

このカナの結婚式でも、
誰も知らなかった。
給仕役も、花婿も知らなかった、
ただ、水をくんでいた僕だけが知っていた。

でも、僕たちもただ、イエスさまが命じられたことに
ただ従っていただけ。

ホントの意味では誰も知らなかった。

それでいい、ただ、単純に主に従っていくだけでいい、
そのように思いました。
主がしてくださること、それを見せて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
すべてはあなたの御手の中にあることを信頼します。
ただ、あなたに従うことができますように。
そして、あなたのみ業を見ていくことができますように。

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