2008-02-19

13年半ぶりの・・・

今日は昨日とはうってかわって、
寒い日でした。
特に夕方から・・・。

どんどん、冷えてきて、今は夜の12時だけど、
-3.6度。今夜はまた-6度とかになりそうです。

で、水曜日の夕方、チョイ雪です。
ところが南の方・・・ワシントンとかが中心のようで、
明日のルートに引っかかりそう。

そして、金曜日ももしかしたらです。

金曜日の夜は、アトランタから土曜日の4時を目標に、
一気に帰る予定ですので、ワシントンDC以北あたりの天気が気になるところです。

さて、どうなることやら。

そう、明日から、お休みをいただいて、
息子の大学見学に南部に行って来ます。

私が行きたくて行けなかった(ま、私は大学院でしたが・・・)NCの大学と、
アメリカで唯一学位を取った学校(こっちは神学校でした)のあるアトランタの大学と、
2つを駆け足で回ってきます。

私は2年半ぶりのアトランタですが、
のんちとハジにとっては13年半ぶり。
ユキも生後2ヶ月で2泊くらいしているのですが、
まあ、ユキとサキとにとっては初めてです。

そのころお世話になっていた、
ボブ先生のお宅に伺ったり、
去年NJにいた一家のお宅に伺ったり、
ほんと、また短い時間の中にいろいろ詰め込んでいます。

そのボブ先生と奥さんのベティー先生は、
アトランタのお父さんとお母さんです。
長いこと仙台で宣教師をしておられた先生で、
引退してアメリカに帰られて、
こちらでまた請われて、ノークロスの教会の牧師をされているご夫妻です。
あれから13年ということは、もう先生方も80代ですよね。

日曜日、教会に行くと、
「ヨクイラッシャイマシタ」と笑顔で迎えてくださいました。
1週間、英語の中で戦って来ると、
日曜日に、先生の日本語と、笑顔に癒されるんですよね。
毎週教会に行くのは当たり前だし、
みんなの教会だから、「牧師がみんなを迎える」わけではないし、
その「歓迎」を期待するのではなくて、神様を礼拝しに教会に行くんですが、
なんだか、あの先生の「ヨクイラッシャイマシタ」には特別な力がありました。

日本の「ふろおけ」というか「湯船」というか、あの「おふろ」を船便で
アトランタまで送って、ご自宅のバスタブにはめ込んで使っておられる、
大の親日家です。

13年半ぶりの再会、楽しみです。

さて、昨日2月18日の聖書。
昨日はルカによる福音書14:1-14

「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。」14節。

優越感ではなく、
偽善的でもなく、
心の中で何も期待するものもなく、
与えることができるような者になりたいと思いました。

心から謙虚な姿勢で生きる者でありたいと思います。

「お返し」にはいろんな可能性があると思います。
文字通りの日本的な「お返し」。
「お互い様」的な関係。
また、「ほめられること」「感謝されること」「評価されること」。

たとえば、コチラで日本から来て、苦学しておられる学生さんとか、
見ていると、何とかしたいと思います。
自分もそうでしたから・・・。
「甘えてばかりで申し訳ない」と言ってきたら、
「そのうちにあなたが稼げるようになったら、次にここに来る若い子に、
同じようにしてあげてくれよ。」と言いたいと思います。
別にお返しなんか、少しも期待していません。

でも、その子にこれっぽっちも感謝の気持ちがなかったら、
「やってもらって当然」という態度だったら、
「なんだかなあ」と思っちゃうと思うんですよね。
それもいけないんでしょうか。

与えるって、報いを求めないで与える、ってどういうことなんだろう、
と考えさせられました。

主よ、
あなたが私たちを愛された時に、
やっぱり「私たちがあなたを愛する」ことを期待されましたよね。
どこまでもどこまでも、私たちを赦してくださるあなたも、
やはり、私たちがあなたの元に帰ることを
期待しておられますよね。

だから、期待していいんですよね。
でも、あなたほど、私は期待し続けることが
できないみたいですね。
忍耐力が足りないみたいです。

見返りも報いもいりません。
天国であなたから頂ければ十分です。

でもでも、不十分な愛ですが、
注いだ愛によって、注いだ労力によって、
人々の目があなたに向けられますように。
あなたを愛する人が起されますように。

わがままを許してください。
どうか、この世でも、
「神様のもとに導かれる人をたくさん見る」
という報い、それはどうしてもほしいです。
その報いを与えてください。

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