2008-05-15

主の言葉を聞く

今日は朝のうち雨がぱらついたりしましたが、
予報よりいい天気で、暖かくなりました。

明日は雨で、肌寒い日になりそうです。

今朝、起きたら6時45分。
とうとう早朝祈祷会を休んでしまいました。
もしも「ああ、今日行こうかなあ」と思って、
来られた方、おられたら、ごめんなさい。

携帯にめざましをセットして、
どこかに置いてしまったようで、
枕元にはありませんでした。
めざましなしに起きれる日も多いのですが、
今日は寝過ごしてしまいました。

そんな今朝早く、
教会の方のご主人が天に召されて行かれました。
アメリカ人のご主人で、結婚50周年を目前にしての、
突然の召天でした。
英語の方なので、わたしたちの教会は、
駐車場までの方でしたが、
まじめな、奥様を大切にする、口数の少ない紳士でした。

何度か、Heart Attackを繰り返しておられたので、
ある程度覚悟はされていたのですが、
昨日は普通に生活をして、
普通に「おやすみ」を言って、
休んで、朝、召されたそうです。

奥様は、平安の中にご主人が召されたことに、
本当に神さまからの慰めをいただいておられましたが、
それでも、連れ合いから引き離されるのは、
どれほどの痛み、悲しみかと思います。

ご本人もお体が弱い中で、どんなに心細いことだろうか、
これからどんな悲しみが襲ってくるかと思います。

今夜、神さまの守りがございますように。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一3章でした。

「お話しください。しもべは聞いております」(10節)

神さまから突然声をかけられたサムエル。
それもまだ「わらべ」といわれる年齢のサムエル。
12歳より下だったのではと言われます。

でも、その最初のメッセージは、
恩師エリの家への裁きの預言でした。
その裁きの預言を与える中で、
エリに伝えるのはあまりにつらい内容でした。

でも、それこそ、サムエルに与えられた試験だったのではと思います。

「僕は聞きます、主よお語り下さい」と言う時でも、
わたしたちは聞きたくないことには耳をふさいでしまうものです。

それを聞いて、そして、それをまた語る、
語りづらいことでも、主からの言葉としてはっきりと語る、
それが預言者の働きでした。

わたしたちもそのような意味で、御言葉を聞くことがどれほど大切かと思います。
耳に心地よいこと、ホッとすることだけを求めて、
それで「恵まれた」というのではないんだと思います。

主から語って頂く者であることができますように。
そのためには、何よりも主を第一とすることができますように。

主よ、
あなたの慰めを、あの、ご主人をあなたの元にお送りした姉妹のうちに与えてください。
主が支えてくださいますように。
主よ、
どうか御言葉を与えてください。
御言葉をそのまま受け取り、
そのまま語る者とならせてください。

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