2006-03-30

隅の親石

今朝も冷え込みました。
0.7度でした。
まだ霜の危険がありますね。
でも、10時前で15度もあります。
昨日は19度まで行きましたが、
今日は20度超えるのは確実でしょう。
一気に木が芽吹いてきます。

でも、3月は雨が少なかったですね。
芝生を少しひっかいて新しく蒔く種が地面に届きやすくなるようにしたら、
はげているところはもう砂埃が立ちます。
このままもう遅霜はないと信じて、
芝生の種も蒔いてしまいます。
そして水まきです。

では、今日の聖書。
詩篇の115-118篇を読みました。
もう少し読みたい勢いだったのですが、
119篇にはいるとなかなか終わらないので、
明日にとっておきます。
心に留ったのは、
118:22の「家作りらの捨てた石が、隅の親石になった」という言葉。
新約聖書にもイエスのことを預言した言葉として、引用されている言葉だけれども、
それと共に、神様の目と私たちの目がいかに違うか、
ということを思わされた。
私たちの目で見て、役に立たないと思うようなものも、
主は用いてくださる。
自分の目で、自分などは役に立たないと思ったとしても、
主は用いてくださる。
主は私たちを用いて御業を行ってくださる。
だから、それを信じて、
大きく、大きく用いて頂きたいと思った。
大胆に用いて頂きたいと思った。
そして、私も大工の立場になったときに、
そのような目で人々が用いられていくのを期待していきたいと思った。
主の御業を見せて頂きたいと思った。
自分の目や、社会常識の目、そのようなものによって見ていくのではなく、
神様の目で見せて頂きたいと思った。

主よ、
私にあなたの目を与えてください。
あなたがごらんになっているように、社会を見る目を、
自分を見る目を、そして人々を見る目を与えてください。
そして、あなたの大きな御業を見る者としてください。
用いてください。
私を用いてください。
私の家族を用いてください。
教会の一人一人を用いてください。
一人一人につながっている多くの人々を用いてください。

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