2006-02-22

神の恵みを受ける器

今、ミッドタウンの
Public Libraryにいます。
NYに着いてみたら、
結構暖かでした。

実は今日バスターミナルから早朝祈祷会の
会場のマクドナルドまで歩く中で、
したことがあるのですが、
それはみんなどんな帽子をかぶっているかを観察することでした。
私自身は中学生の時の学生帽以来帽子をかぶらない方で、
たまに野球帽をかぶるくらいなんですが、
こちらの冬は厳しいので、
外を歩くのは帽子が欲しくなります。

「足が冷えたら頭を暖めろ」というくらい、
体の熱は頭から逃げていくそうです。
そうですよね。
帽子をかぶっていなかったら、
冷たい空気にさらされているのは
首から上だけですからね。

だけどスーツにオーバーという格好に似合う帽子は何だろうなあ、
と思って、観察したのです。

でも、実際は帽子をかぶっている方は本当にわずかでした。
それも、ジーンズにジャケットなので
野球帽でいい、という方が多かったです。
スーツに帽子の方はおられませんでした。

来月のNYの早朝はもっと暖かいでしょうから、
次の観察は来年ですね。

では、聖書の言葉。
今日は列王記下の1-4章です。
エリヤからエリシャに預言者のつとめは受け継がれていきます。
今日心に留ったのは、
4章の最初のところで、
エリシャが貧しいやもめのために
油を出すところです。
彼が「もっと油を入れる器はないか」
と聞いて、
「もうありません」
と言った時に、
油は止ったのです。

これは私たちの信仰の姿勢のことをも言っているのだと思いました。
神様が私たちに恵みを、聖霊様を注ごうとされている。
だから、空っぽの器がもっともっと必要なんだと、
求める心があれば、注がれるのだと思いました。

私たちの心にいろんなものがたまって、
渦巻いて、それが聖霊様の注ぎの邪魔をしているのではないかと。

求めることを止める時に、
注がれるのは止ってしまうのだと、
思いました。

主よ、
聖霊様の注ぎをお与え下さい。
もっともっとお与え下さい。
満たしてください。
あなたの恵みの中に生かしてください。
それが止ることがないように、
止めるものがないように、
満たし続けてください。

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