2006-07-26

同じしもべ仲間

今日は久しぶりにNYの早朝祈祷会に出席。
3人で心を合わせて教会のこと、教会の方々のこと、
そして、特にNYで働いておられる方々のことを覚えてお祈りしました。

午前中はいろいろな連絡や仕事をNYPublic LibraryのMidtown Branchでしています。
まるでNYにオフィスを持っているかのような気分です。
図書館なので、電話がかかってきても、その場では出られないこと、
たくさんの人がいるので、コンピューターを起きっぱなしにして席を立てないこと、
などはありますが、全然不便とは思わないです。
安上がりなJCCNJ-NY Officeですね。

NJの郊外に住んでいる私にはNYに出てくると、人の多さに圧倒されます。
もっともっとここで伝道したいなあ、と夢は広がります。
そのこともお祈り中です。
神様がどんなビジョンを与えて下さるか、今は「待ち」です。

今朝はマタイによる福音書18章を読みました。
今日のところの最後の方では、「赦しなさい」という話が出てきます。
私の好きな話の一つです。
1万タラント・・・日雇いで働く人が5000回人生をして、稼げるお金・・・の借金を主人に帳消しにしてもらった人が、同じ主人の下で働く人に貸していた100デナリ・・・同じく100日働いて稼げるお金・・・を赦せなかった、そしたら、彼を赦した主人が怒って、彼のことを牢獄に入れてしまった、という話です。

100デナリなんて「はした金」だ、と説明してある本もあります。
でも、待って下さい。100デナリって、すごいお金ですよね。
100日働いて・・・ってことは週休1日で大体4ヶ月。週休2日だと5ヶ月くらい働いて稼げるお金です。
「簡単に赦せる」って人がおられたら、私はマジで借りたい。無利子無期限で・・・。

そんな赦せるもんじゃない。
だから、このお話は意味がある。
だから赦すことに意味がある。

お互い様じゃない。
一方的に向こうに貸しがある。
だから、赦すことに意味がある。

自分が赦されたこと、ものすごい大きな借りを神様から赦されたこと、
そのことに心を向けることです。

それはいつも思うことです。
今日はもう一つ、この100デナリを貸していた人が、
「同じしもべ仲間」と書かれているところに心が留りました。

私たちお互いは「主のしもべ仲間」なのだと。

お互いをとても近く感じました。
私たちは主のしもべ仲間なのだ。

うーん、教会でもっと使おう。この言葉。

主よ、
私にたくさんの「しもべ仲間」を与えて下さっていることに感謝します。
共に歩む喜び、共に労する喜びを与えて下さい。
どうかお互いをあなたに愛されている者、
あなたに受け入れられ、支えられている者として、
感謝して受け入れることができますように。
あなたに愛され、赦されている喜びに満たして下さい。
今日の出会い、今日の働きのために助けを与えて下さい。

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