2006-05-29

自分を捨てて

今日は、また暑かったですねえ。
いやー、夏ですよ。
我が家の温度計での最高気温、35.5度!
場所によっては雷雨もあったようですが、
うちの方は素通りしました。
今も11時ですが、24度もあります。
熱帯夜の季節がやってくるのでしょうか?
天気予報では「暑い」のは明日までで、その後は
「平年並み」の気温に戻るみたいですが・・・つまり、最高が25度くらい。
まあ、それだったら、いいですがね。

土曜日に植え付けた、コーンですが、
毎日いたずらをするやつがおります。
犯人はわかりません。
根元を掘り返す奴。毎日、何本か、掘り返されていて、
ダメもとで、もう一回植え付け直しています。
あと、芽を食べる奴。
これはもう許し難いです。
コーンはイネ科ですから、また真ん中から生えてきそうな気もするのですが、
ダメかもしれません。
今日、まるまる太った野ウサギがおりましたので、
追っかけ回して、追いだしてやりました。これに懲りて、寄りつかなくなればいいのですが・・・。

近所で、「全然動物の心配はいらない」という方もおられるのですが、
うちはこれから、グランドホッグ、チップモンク、野ウサギ、そしてリスとの闘いの季節です。
去年はそれがストレスで(たぶん)不整脈まで出てしまいましたからねえ。
今年は、「ケ・セラ・セラ」スピリットで、熱くならないように、なるようになれ、と大きく構えたいと思います。

あと、今日、小かぶが
2-3センチくらいになって
ちょっと窮屈そうなので、7-8本間引きをしました。
漬け物にしています。食べるのが楽しみ。

で、今日の聖書。
マタイ15-21章を読みました。
心に留ったのは、
16:24の「私に従ってきたい者は、自分を捨て・・・」という言葉です。
「信仰はがんばることではない」と日曜日に礼拝で語りました。
でも、「好きなことをすればいい」ということでもありません。
反対に、「自分を捨てる」ことなんですね。

でも、また「がんばる」ことは、
「自分を捨てる」ことと正反対のような感じがします。
先日、そうだなあ、と思った文章を「百万人の福音」という
クリスチャンの雑誌の中で見つけました。

「コミュニティーに対する自分の夢を愛する者は、コミュニティーを壊し、
兄弟(仲間)を愛する者は、コミュニティーを生きる」
ボンヘッファーの言葉だそうです。

9年前、私がJCCNJの牧師になるときに、
「自分の野望をこの教会で実現しようとしていないか」と疑う方々がおられました。
その時に、私はそんなことはない、と反発をしましたし、そんな気持ちもなかったと思っていました。
神様が尻込みする私を励まして、立たせてくださったと今でも思っています。
でも、「コミュニティーに対する自分の夢を愛する者」という言葉にはどきっとします。
今でもその危険をはらんでいると思います。
そして、それを別の言葉では「野望」というのでしょう。
だとすると、9年前のあの方々の言葉は正しかったのかもしれません。

ですから、「自分を捨て・・・」ということは、自分の「教会はこうあるべきだ」というこだわりのようなものも、捨てることなのか、と思わされています。
そして、イエスが「私が、私の教会を建てる」と言われた、教会に仕えていく者でありたいと思います。

主よ、
私はあなたに従います。
ですから、私は、
「自分を捨てる」ことにします。
それがどういうことなのか、日々の歩みの中で、
教会の歩みの中で教えてください。
あなたの与えられる十字架を喜んで背負う者としてください。

2 comments:

  1. ウサギやリスはねぎやにんにくを嫌うらしいと聞いて、うちでは葱(スキャリオン?)と、買って来て芽が出てしまったにんにくを回りに植えてます。
    効果があるのかどうか、わかりませんが、去年はトマトとナス(しか植えてませんでした)に被害が無かったですよ。

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  2. ねぎやニンニクですね。
    やってみよお、っと。
    でも、このままだとトウモロコシが全滅してしまいそうな勢いなので、ネットも必要かと思っています。

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