2011-02-08

気づくことから始まるから。

今日はNJは雨だったようですが、
Poconoは雪が降っていました。
5センチくらい積もっていたかな。


午後にはNJに戻って来たのですが、
だいぶ冷えて来ました。
今は夜の9時過ぎですが、
-7.3度C。
明日の朝はまたマイナス二桁コースですね。


この寒さ、3日ほど続いて、
でも、来週はぐっと春めいて来そうです。
乞うご期待!


一泊二日のリトリート。
いろんなことを語り合い、祈り合いました。
何かが解決したというよりも、
気がつかされたいくつもの心の動き。


理屈ではわかっているのに、
心が変に反応してしまうことなど、
あるんですよね。


解決は神様の手の中にあるとして、
自分で「あ、自分はこういう反応してしまうんだよね」
と、それに気がついていると、ちょっと違うこともあるんじゃないかな。


そして、そういう自分の心の反応に
大切な決断が振り回されないこと、
それを思わされています。


神様との関係の中で、物事を見て行くことができるように、
主に従って行くことができるようにと思わされた2日間でした。


相棒の先生にはホントに感謝!


さて、今日の聖書。
今日はアモス書の2章1−8節。


「ユダの犯した三つのそむきの罪・・・」4節。
「イスラエルの犯した三つのそむきの罪・・・」6節。

1章から、イスラエルの周辺の国々の罪について語って来たアモス。
でも、ここでついに、ユダとイスラエルについても、罪を指摘して、裁きを語る。

どんな思いで語ったんだろうなあ。

人の罪にはすぐ気がつく。
でも、自分のことはなかなかわからない。
いや、わかって苦しんでいる人もいるだろう。
それは、もう救いに近い。

でも、わからないことが問題。
自分は大丈夫だと。
それが一番問題なのに、人の罪には気がつき、
自分の問題には気がつかない。

そして、ここでアモスがイスラエルについて取り扱っている問題は、「弱い者を守る使命」を果たしていない、という罪だった。

教会もどうだろうか?
強い人の教会になってしまっていないだろうか?

神様、
私たちはなかなか自分の問題には気がつかない者です。
どうか示してください。
教会はどうでしょうか?
強い人の教会になっていないでしょうか?
「いい人」の教会になっていないでしょうか?
気がつかせてください。



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