今夜はこれから雪です。
今、夜の10時半ですが、12時頃からかな。
10センチくらいのちょい雪みたいです。
そして、明日の朝起きた頃にはもう終わっている、
駆け抜けて行く雪です。
明日は5時に「今日は2時間遅れですよ」なんて、起こされませんように・・・。
あ、でも朝起きたらまだ降っていて、20センチ積もっていても、怒らないでくださいね。
そーんな感じの予報です。
14年前の昨日、天に召されて行った仲間のことを思い出していました。
私はまだこの教会の牧師になる前、大学院の宗教学部の学生の一人としてこの教会に集っていたときでした。
日曜日、いつものように教会に行ったら、そこで、姉妹が急に召されたことを聞かされました。
私よりも若かったですから、そして、お元気そうに見えましたから、ほんとに信じられませんでした。
でも、驚く神様の御業だと思うのですが、それからご両親が教会に導かれ、輝いて歩んでおられます。
息子を大学に送ったり、迎えに行ったり、その途中のところに住んでおられるので、最近、何度か、お世話になっています。ハミングバードが窓際に飛んでくるすてきなところです。
一昨年、ご両親からお証を聞いたときの文章を読み直していました。
http://www.jccofnj.org/main/testimony/akashi_1009.html
読みながら、思わされたこと。
ご両親がこのように自分のことを思い出して、お証しをしている場面、そんな風景を、生前の彼女は想像できただろうか?
できなかっただろうなあ。考えられなかっただろうなあ。
だったら、私たちも自分の生きている間に、自分の知っている範囲で、考える必要も全然ないんだろうなあと。自分の見極められることの限界を認めること。そして、それを超えて働いてくださる神様を信頼すること。あ、最近、ちょっとまた肩に力が入り始めていたかな、と思わされるひとときでした。
感謝。
さて、昨日の聖書。
昨日はマルコ6:45-56。
「イエスは強いて弟子たちを船に乗り込ませ・・・」45節。
この日の「日々のみことば」は厳しかったねえ。
イエスはあえて、嵐が来るとわかっていて、弟子たちをそこに送られたと。
そして、そばを通り過ぎようとした、と。
イエスはあえて、安易な慰めや安心感を与えようとしたのではなくて、
イエスに従って行く歩みへと招かれていたのだと。
でも、そうだよねえ。
嵐が来る。あえて嵐の中に送られる。
それも、船を出してすぐだったら、戻るってのもあったかもしれないけど、
それはなくて、
湖の真ん中に来た頃に嵐が来るってんだからたまったもんじゃないよね。
ってゆうか、元々、イエスに従うならば、無理矢理送り出されるんだったら、
嵐なんて勘弁してほしい。万事順調にいってほしい。
こっちは従ってんだから・・・。(って恩着せがましい・・・かな)
でもほんとに嵐が来る。突然の嵐が。
でも、そんな中で、ほんとのことがわかる。
ほんとの自分の弱さがわかり、神の強さがわかる。
ほんとの自分の姿が見えてきて、神が必要だと言うことがわかる。
必要とか、なんとか以前に、神とともに歩むように造られたってこと。
だから、嵐の中に送り込まれるのは、
必要なんだな。
主よ、
あなたが強いて送り出してくださるところ。
そこで、私たちは、ほんとの姿がわかる。
あなたが必要であることがわかる。
従う喜びを与えてください。
嵐がやってきたときに、あなたを信頼して歩めますように。
ハジからのメールで、ユキがもうすぐミッドタームだってわかった。
そういえば、そんな話を聞いたような気がする。
ヤツはほんとに大切なこと、言わないからなあ。
かみさま、守ってください。
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