昨日しっかり休んだら、
今日はすっかり元気になりました。
お祈りくださった皆さん、ありがとうございます。
明日は雪の予報です。
もうちょっと北東のほうが中心の予報が増えてきましたが、
まあ、とにかく5−10センチくらいは降るみたいです。
で、子どもたちの学校は早々と午前中での授業の打ち切りを決めて連絡してきました。
そして、来週の火水あたりに次のが来る可能性ひき続いてささやかれています。
今日からハジは近くの教会でもたれているユースリーダー・トレーニングに行っています。
昨日、それに関わっている先生と電話で話したときに、こんな話をされていました。
「ホントの一致は、私たちが砕かれてイエスの元にへりくだるところにしかあり得ない」
ずーっと、ほんとにずーっと心のなかにあったもやもやが晴れたような感じがしました。
私は今まで「一致」という言葉があまり好きになれずにいました。
9-11の時のUnited We Standという言葉に対して感じた違和感と、それを口にしてはいけない様な風潮。結局一致なんて誰かが黙らされているだけなんじゃないかとか、誰かが我慢して保たれているだけなんじゃないかとか、妥協の産物じゃないかとか、表面的な一致に嫌気がさしていたのだと思います。
だから、聖書の中の「一致」を強調するような箇所から語ることは殆ど無かったと思います。
でも、その先生の言葉を聞いて、わかりました。一致がある、一致を求めていい。一人ひとりが神の前に、イエスの十字架のもとに砕かれるところに起こりうる、ほんとうの一致がある。それを求めていこう、と。
簡単ではないことは分かっていますが、本気で求めていきたいと思わされています。
昨日の聖書箇所から、きょうもずっと「屋根をはがす、天井に穴をあける」ってどういう事だろうと思わされ続けていました。
そんな中で読んだ今日の聖書箇所は、
マルコ2:13−28。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」22節。
イエスの福音は、
当時の文化や先入観を打ち砕くものだった。
罪人と言われるような人たちと一緒に食事をしていたイエス。
そのような人たちを惹きつけるものを持っていたイエス。
今の教会はどうだろうか。
やはり屋根を剥がさなければならないのではないだろうか?
天井に穴をあけなければならないのではないだろうか?
福音の力を自分は小さなものの中に閉じ込めていないだろうか?
その大きさを十分に経験して、
それだけではなくて、十分に示しているだろうか?
表しているだろうか?
なにか大きな宿題をもらったような気がする。
主よ、
天井に穴をあけることが何を意味しているのか、
屋根をはがすことが何を意味しているのか、
私にも教えてください。
そして、それを実行する力を与えてください。
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