2010-08-02

Quality Time

Gary Chapmanという人が、Five Love Languageという本の中で、人には愛の表し方、愛を感じるポイントがそれぞれあって、それは大きく5つに分けられると言っていますね。3年くらい前に日本語にも翻訳されました(NJの友人が訳されました。8月22日には、訳した方のご主人がJCCNJでメッセージをしてくださいます)。


その5つはこんなです。


肯定的なことば(words of affirmation)
一緒に時間を過ごすこと(quality time)
贈り物(receiving gifts)
助けてくれること(acts of service)
スキンシップ(physical touch)


自分のlove languageが、愛を表したい相手のlove languageとずれていたら、どんなに一生懸命やっても、まるで知らない外国語でコミュニケーションを取っているように、伝わらなくて、「こんなにやっているのに・・・」「こんなに愛しているのに・・・」というよく聞くセリフが出てくる事になるというんですね。


なるほど・・・と思います。


で、自分のlove languageは絶対quality time・・・。


何でもいいんですよね、一緒に時間を過ごすこと。
で、今朝気がついたんですよ。
昨日のJOYJOYキャンプのためのミーティングも気がついたら8時半になっていて、でも、自分的には、全然苦じゃないんですよね。それどころか、ミーティングが終わった後も、なんだか名残り惜しくて、いろいろ雑談していたい・・・。みなさん、月曜日からのお仕事もあるし、ご家族も待っておられるし・・・なんで、慌てて帰られたのですが、なんだか、自分的にはちょっと物足りない感もあったりしていました。


ハハハ、これは自分のlove languageにハマってしまっているんだなあと。
そして、自分の身の回りで起きる「どうしてもミーティングが長くなってしまう現象」は自分の議事の整理の仕方や、決断力の問題だけじゃなくて、このlove languageの問題もあるんだなあと分かってしまったんですね。


なーんだ、そうだったんだ!と。


でも、Chapmanの言いたいことは、自分のlove languageを知ること、それを伝えることも大切だけれども、それよりも大切なのは、相手のlove languageを知ること、だったはず。周りの皆さんの中では、違うところで愛を感じる方もおられるわけで、長ーいミーティングやその後の雑談なんかはストレス以外の何ものでもない、という方もおられるかもしれないわけで、その違いを知ろうとする姿勢がほんとうに大切なんですよね。


ま、そんなことで、今朝も、神様とのQuality Timeを楽しんできました。


でも、それはまた取っておいて、先週後半の聖書から・・・。
先週後半、更新できないでいた頃、ローマ13−14章を読んでいました。


「すべてのひざは、わたしの前にひざまずき・・・」14章11節。

昨日は礼拝で子供と大人と両方いっぺんのメッセージ。
エルサレム会議、と呼ばれる、最初の教会内での大切な教義についての話し合いのところ。
その時も感じたのですが、教会って、一緒に神様の前に跪く、という感覚ってとても大切だと思う。意見が違って、考え方が違う、生活習慣が違い、大切だと思うポイントも違う。そんな者たちが一緒に集まっているんだけれども、そこに一致をもたらすのは、「話し合い」ではなくて、その中で、主の前にひざまずく姿勢。誰かが偉くなってしまったり、自分の意見が通らなくなるといじける人のために周りが動かされたり、声の大きな人の言うことに振り回されたりするのではなく、主の前にひざまずく姿勢。それも一緒に頭を垂れる姿勢。

14章では生活習慣の違いや、意見の違いが教会の中の問題になっている中で、この言葉が語られているのです。

主の前にへりくだって歩む者となることができますように。

主よ、
あなたの前にひざまずき、あなたの前に頭を垂れて、
あなたに従って行く者でありますように。

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