NYCからの更新です。
ちょっと考えるところがあり、
夜の更新はこれからはしないようにしようと思います。
Flex Timeの牧師の働き、
毎日とは行かなくても、
一日のうちで隙間を見つけて、
アップしようかと思います。
毎年のようにこの季節になると一言書かないではいられないサンタのこと。
私はちょっとこだわりがあり、うちの子供たちのところには来ないことになっています。
「サンタはお父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられない子たちのところに来るんだよ」と。
それはこちらにも書きました。
2006年12月14日の日記。
そして、4年越しの願いだった、Operation Santa Claus、今日、NYCの中央郵便局に行って、とうとう一つ手紙をもらってきました。
でも、いろいろ考えてしまいました。
1回に10通の手紙を渡されて、その中から、「ああ、この子の願いを聞いてあげたいなあ」という手紙を選んで持って帰って、プレゼントを準備するのですが、手紙を読んでいるとなんだか、「クレクレ・スピリット」を助長しているんじゃないか、と思わされて、悔しくて涙が溢れてきました。「XBoxが欲しい、このソフトをつけて。」とか、「あれも、これも、これも、これも、それからこれも・・・」といくつもいくつも列挙してあったりとか・・・。うちの子たちにも、そんなプレゼントをあげたことはありません。どうしても欲しければ、自分でがんばってお金を貯めて買って欲しい、そう思ってきました。
クリスマスはプレゼントを「もらう日」だと子供たちが思っているって、これ、どうなの?ってほんとに思うんです。
なんだか、とんでもなく複雑な思いがしてきて、やめようかな、とも思いました。自己満足みたいな気もしたり・・・。でも、せめて・・・と、「子供に、洋服とか、靴とか、そういうものを送ってくれませんか」というお母さんのお便りを持って帰りました。決して納得したわけではないのですが、きっと、きっと、ほんとに一年間、洋服とか、買ってあげられなくて、靴も穴があいていて、でも、クリスマスの時に、買ってあげるお金もなくて・・・ということだと信じて。
女の子向けなので、うちの子たちにも手伝ってもらって一緒に準備したいと思います。私の心も守られますように、そして、子供たちにとっても幸いな経験となりますように。
あ、あと、車、日帰り治療ができなくて、入院しましたが、一泊で退院許可がおりました。
でも、今日は多分迎えに行けないので、明日にでも迎えに行こうと思います。
・・・もう、これで終わりになってほしい・・・。
さて、最近の「日々のみことば」から。
月曜日はレビ記の27:16−24でした。
この日でレビ記は読了。
「牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。その善い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。」32−33節。
人間はさもしいですよね。
10匹目が神さまのものとしてささげられるとすると、
その10匹目に、「これは手放していいかな」というものが
来るようにと、心のなかで願うものなんでしょうね。
自分もそうだろうなと思います。
神さまが最高のものを与えてくださったのに、
自分は最高のものを持って行こうとしない。
どこまでも自己中心的な者だと思います。
だから、このようにハッキリと書いてある。
最高のものを主のところに、
大切なモノを主のところに、
だって、主がまず大切なモノを私たちに与えてくださっているのだから。
主よ、
クリスマスに、
あなたが大切な大切なひとりごを与えてくださったことに感謝します。
私たちに一番大切なものを下さったことに感謝します。
私もあなたに、また人々に、大切なモノを分かち合っていく、勇気を与えてください。
心に平安を与えてください。
先生、サンタとプレゼントのこと、先生の「複雑な思い」、分かる気がします。
ReplyDeleteアメリカのクリスマスのギフト交換の習慣は、私もずっと複雑な思いで見てきました。まぁ、皆さん、「大切なのはもらうことではなく、与えること!」と言いながらギフトを用意するわけですが、結果として子供にはやっぱり、「もらうのが当然」の感覚を養っている気がしてなりません。
うちの子も、「もらうのが当然」の感覚を持ってしまっていると思います。せめて、自分がもらうだけでなく、ギフトを贈ることをもっと強調しようと、ワールドビジョンのギフトカタログを見て、何を贈るか一緒に考えたり、お世話になった方たちや日本のおじいちゃんおばあちゃん、兄弟間でのギフトなど、与えるほうの機会も作るようにしているのですが…
(ちなみに、我が家もサンタは来ません。)
Operation Santa Clausですが、確かに複雑ですね… その手紙を書いている子供たちは、周囲の子がたくさんのプレゼントをもらっているのを見て、自分も…という思いがあるのでしょうね。クレクレ・スピリットは助長したくないけれど、自分が稼いだわけではないギフトを、ただ贈る人の厚意によって無償でもらうことができた、という経験をさせてあげるのは良いことなのかなとも思ったり… ほんとに複雑です。先生がためらいつつも手紙をもらって来られたお気持ち、分かる気がします。
アメリカ人は、ある面、日本人には考えられないくらいgenerousで、本当に気前良く与える人たちだなと思います。ボランティアもよくするし。でも、時にはそのgenerosityが、受け取る人の「尊厳」や「生きる力」を奪うことにもつながっているんじゃないか…と感じることもあるのです… アメリカの大都市に行くと、beggerがやけに多いように感じるのは気のせいでしょうか。
ハイチの地震のときも、アメリカ人は援助団体だけでなく、個々の教会や個人も大勢援助に駆けつけたそうです。私の教会からもチームが行きました。でも、トニー・カンポロだか誰かが、そうやって出かけていって何でもやってあげてしまうことは、ハイチの人たちの益にならない、というようなことを言っていました。彼らに依存することを教えてしまう、と。
あー、なんだか話しが広がってしまいましたが、私自身、なんとなく似たようなことを考えていたので… 長くなってしまい、すみません。
かきごおり先生
ReplyDeleteそちらよりは、暖かいと思いますが
すっかり、冬の暗い空になっています
サンタさん。。。
とっても悩ましい。。。
甥は、カトリックの幼稚園に通っていたんですが
クリスマス前になると
家にあるマリア像の前に正座して
「サンタさんが、○○を持って来てくれますように」と毎日祈るので
その祈りを聞いて、妹が買いに行くてなことをやっていました
ある年は、「黒いうさぎ」
「色まで指定で、参った」と言っていたことが懐かしいです
今年のクリスマスプレゼント。。。
五年来、交友のある楽友が
実は、クリスチャンだと月曜日に判明
霊的会話のできる友を主が身近に与えてくださったことに感謝です
(日本じゃ、なかなかクリスチャンに出会いませんから。。。)
先生からのプレゼントを受け取ったご家族に
主からの恵みと祝福が豊かにそそがれますように
コメント欄壊れているんでしょうか?
ReplyDelete昨日のはちこさんのコメント、
そして、NJ時間で今朝未明の旧ジャージーさんのコメント、
反映されていませんが、
私のところには「通知」として来てきます。
あとで、こちらにアップしますね。
たしかにはちこさんのコメント、エラーになってしまいますね。
ReplyDeleteじゃあ、頂いたコメント2つ、改めて「エントリー」扱いでご紹介します。
おお、コメント通知で届いていたのですね!
ReplyDelete何がいけなかったんだろう。やっぱり長過ぎたのでしょうか?
…と、短いのを送ってみる。これでだめだったらどーしよう!
はちこさん、
ReplyDelete「本文+コメント」または「コメント」で最大が決まっているんでしょうかね。
私の方ではちこさんのコメントをここに入れようと思っても、Too Largeと出てきました。
とりあえず、ここにも反映されたのですが、また時間で消えてしまうかと思い、勝手ながら、今日の本文に入れさせていただいています。
で、今回の短いバージョンは大丈夫みたいですね。
これからもめげずにコメントつけてください!