2010-12-03

神の愛の大きさ。

今朝はしっかり冷えて-2度。
昼間も5度Cくらい。


そして、今は夜の10時半。
すでに0.3度C。
明日の朝はまた同じくらい冷え込みそうです。


昨日は金星と共演していた三日月。
今朝も楽しみに起きたら、
今朝は月はまだ昇ったばかり。そして、薄っぺら。
金星とは大きく離れて、
明るさも金星の勝ちかな、と言う感じでした。
一日でずいぶん変わるんですね。


でも考えてみたら、月は28日で同じところに帰ってくるわけで、
一日で13度ずつ動いていくんですね。
明日の朝6時にはまだ地平線ギリギリみたいです。
(Sky Walkで調べられる・・・これスグレもの)


さて、今日の聖書。
今日はレビ記26:27−39。


「あなたがたは自分たちの息子の肉を食べ、自分たちの娘の肉を食べる」29節。

あり得ないでしょう。
恐ろしいですよね。
想像もできませんし、したくもありません。
自分の可愛い子供達を食べてしまうなんて。
極限状況になったら・・・ということは誰もわからないでしょうが、
でも、今の私の心ではどうしても想像できません。

そして、このような箇所を読むときに、

今まで、

「これは旧約聖書だから・・・」(こわいねえ、でも、新約の時代の自分たちは大丈夫なんだよ・・・)
「いつまでも悔い改めないと・・・」(神さまは憐れみをもって待っていてくださる。でも、いつまでも信じないと、こういう事になるよ・・・)

というメンタリティーで読んでいました。

「日々のみことば」誌の解説も、後者のように読んでいます。

でも、今朝、あたり前のことなんですが、
大切な事に気がつきました。

これは罪の結果なんだ。
イエスが私たちの罪をあの十字架の上で負ってくださったときに、
この罪の結果も、全世界の罪、全時代の罪を、たった一人で、
そして、たった6時間の間に凝縮して、負われたのだ。
私の罪も、本当ならば、このような結果になっているはずなのに、
それをイエスが代わりに負ってくださったのだ、と。

そうしたら、本当に恐ろしく思いました。
そして、その恐ろしい罪の呪いを一身に受けられたイエスが、
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と言われたのが、本当にわかるように思いました。

ちょっとした心の中の革命のような出来事。
言葉にすると、なんだか、うまく表現的ないのですが、
旧約聖書の読み方が変わり、
イエスの十字架の過酷さ、
そして、そこまでしてくださったイエスの愛を感謝しました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたがわたしのためにここまでして下ったこと、
この罪の呪いを、この恐ろしい結果を引き受けてくださって、
心から感謝します。
罪の深刻さを忘れてしまうことがないように、助けてください。
そして、あなたの愛の中で生きる喜びに歩ませてください。

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