いつもの自分だったら、
「勝たなかった」にはビックリマークでもつけたいかもしれない。
でも、ホントはいらないんだろうな、と、今日思っています。
静かに、静かに、でもたしかに、光は闇を照らしている。
「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。」ヨハネ1:5。
そこには派手な音楽も、センセーショナルなナレーションもいらない。
本当に静かに、しかし確信に満ちて、それを宣言すればいい。
1週間ほど前にはちこさんがTwitterで紹介してくださった、
パスター・ビルの言葉がずっと心に残っています。
Sitting in The Dirt (One Step at a Time)
英語のブログなので、自分の言葉でエッセンスを紹介すると、
悲しみの中にいるときに、
「信仰的な正解」で励まされることよりも、
「一緒に泥の中で座ってくれる」誰かの存在が、
どれほどありがたいか。
何をしたらいいかわからないけど、ただ、あなたと共にいたい、
そういう人の存在がどれほど助けになるか。
でも、それが最後ではない、それで終わりではない、
そのただ中に、復活の主がおられる。
今日も幾人かの痛みの中を通っておられる方々を思いながら、
何も出来ない自分を感じていました。
何の励ましの言葉も持ち合わせていない自分。
ただ、主に祈らされます。
イエスをよみがえらせた神の力が私のうちに働いていることだけが希望です。
今日はすごい嵐でした。
雨は大雨まではいきませんでしたが、
すごい風でした。
でも、たいした被害はないみたいです。
今、夜の11時半で、3.9度Cまで下がってきています。
明日の朝は0度くらい。
そして、その後、冬の走りのような寒さになりそうです。
でも、もう12月なんですね。当然か。
さて、今日の聖書。
今日はレビ記の26:1-13。
「わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたは私の民となる。」12節。
神の祝福の中心はこれ。
神さまが私たちと共にいてくださること。
これをいつもいつも見失わないようにしていたい。
これは約束だから、私たちが気がつこうが気がつかまいが、
わたしたちが実感していようがいまいが、共にいてくださる。
私たちが忘れてしまっても、
主は決して忘れてしまわることはない。
共にいてくださる。
旧約のこのところでは、
「神の戒めを守るならば・・・」
でも、新約の約束は、
「イエスに於いて、私はいつもあなたがたと共にいる」
ということ。
条件抜きで、私たちが何かをする前から、
私たちと共にいてくださる。
主よ、
あなたが共にいてくださることが力です。
そのことを見失わないように守ってください。
闇が、私の歩みを、
そして、私が大切に思っているひとりひとりの歩みを、
覆ってしまうように思えるときにも、
あなたがそこにいてくださることを、思い出させてください。
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