2010-09-20

自画自賛。

今日も気持ちのいい一日でした。
雨不足みたいですが、
秋になったので、だんだん好転してくるでしょう。


ところで、昨日「30度になんて上がりません」と書いたところなんですが、
Accuweatherでは水曜日に33度を予想してきています。
他でも29度を予想しています。
日本では「暑さ寒さも彼岸まで」といいますし、
アメリカでは秋分の日が「The First Day of Fall」ですから、
いたちの最後っ屁的な暑さかもしれませんね。


今日は本当に久しぶりの休みの日だったので、ゆっくり休んで、夕方から、月曜日に仕事に出ているのんちに代わって、クッキング。


ハンバーグににんじんのグラッセ、粉ふきいも。なかなかうまそうにできました。食べてもうまかったですよ。


ちなみに、この写真はこの夏に機種変更したiPhone 4で撮ったもの。
それまでの3Gに比べるとカメラがぜんぜん違う。バーコードリーダーやスキャナーにも使える、ビデオも撮れる、と重宝しています。確かに反応も早いですし、バッテリーの持ちもいい。この夏からデータプランが今までの30ドル均一から、200MBまでなら15ドルと(あまり外で使わないなら)半額になったので、その浮いたお金の14ヶ月分で買えてしまうというわけです。


あと、夜空にかざすとそこにある星座を教えてくれるソフトもあるらしく、ファミリーキャンプの時に使えばよかったなあ、と思いつつ、冬の澄み切った夜空を楽しみにしています。


さて、久しぶりの「日々のみことば」。
今日読んだところから。


今日は列王記第一の8:1-11。


「箱の中には、二枚の石の板のほかには何もはいっていなかった。」9節。

箱の中に荒野で民に与えられたマナのサンプルや、芽を出したアロンの杖は入っていなかったんだろうか?と思ったりもしましたが、そんなことはとりあえず置いておいて、この言葉の中に、信仰における「神の言葉の中心性」を見たように思いました。

「ただ、お言葉を下さい」と言った百人隊長(マタイ8:8)のように、何かを見ていなくても、主を信頼して、そこに従っていくことが信仰なのだと思います。

アブラハムもそうでした。ただ、主を信頼して歩んだのです。
神の約束を信じて歩み始めました。

「見ないで信じる者は幸いである」とイエスは言われました。

そのことの大切さを思わされます。

そこまで思ったときに、もしかしたら「マナ」とか「アロンの杖」というのは、神の真実を証明するものとして、元々そこにあったわけだから、それがどこかで取り去られて、「二枚の石の板」だけが残されたことは、「神様はそのような証明をするものを与えられることもあるけれども、それが中心なのではない、私の言葉に対する信頼こそが信仰の中心なのだ」と言っておられるのではないかと思わされたのです。

ちょっと恣意的な解釈でしょうか?

まあ、「マナ」と「アロンの杖」についての解釈はいいとして、とにかく、箱の中に神の言葉だけが入れられていて、それが神と人との間の関係の鍵であったことを思うと、私たちもそこに生きていくことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたのみことばを信頼して歩ませてください。
見えるところではなくて、あなたのことを信頼して歩ませてください。

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