2010-08-26

宣言の重み。

晴れました!
本当に気持ちよく晴れました。
朝もそこそこ涼しかったですが、
さすがに湿気が多くて、ジトッとしていましたが、
昼間晴れて、すっきりして、
空気も乾いた空気に入れ替わって、
夜の11時で19度。本当に気持ちのいい感じです。


明日の朝は13度くらいまで下がるそうです。
そしてこの後しばらく晴れ。
気温は日々高くなっていくみたいです。


さて、今日はさっそく「日々のみことば」。


この3日間は、レビ記の13章でした。


「祭司は彼をきよいと宣言する。」28節。

28節だけではなく、何回も何回も「宣言する」という言葉が出てきます。
宣言と実質では実質の方が先だと思います。
ここでも病気が治ったという事実が先にあって、
そこに「治ったよ」という宣言があります。

でも、その治った後の歩みの中で、
この宣言はとても重く、大切なことになります。

アメリカの歴史の中では独立宣言や奴隷解放宣言など大切な「宣言」があります。

「独立した」「解放した」と宣言したときに、
それに抵抗したり、「そんなの認めない」という勢力があっても、
そのように宣言されたことは大きな効力を持つのです。
人がどう感じようとも、その「宣言」こそが、今度は事実になるのです。

洗礼式の時に、私は必ず「子よ、しっかりしなさい、あなたの罪は赦されたのだ」と宣言をします。

それは悔い改めたら赦されると神が約束しているからです。

それを宣言する責任が洗礼を授ける者にはあります。

そして、その宣言は重く、本人がその後どう感じようとも、
「赦された」という事実は変わらないのです。

ですから、宣言をするときに、本当に重みを感じます。
それくらい大切な事だと思います。

その大切な働きを私たち任せてくださった主の信頼を、
裏切ることがないように、真実な歩みをさせていただきたいと思いました。

主よ、
あなたに代わって、罪の赦しの宣言をさせていただく幸いに感謝します。
あなたの信頼に感謝します。
どうか、真実な歩みの中に、
謙遜な歩みの中に、使命を果たしていくことができますように。

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