「怒ってる?」
この質問は、本当に怒っている時にも、
全く怒っていない時にも、
余り言われて気持ちいいものではない。
怒っているときに言われたら「当たり前だ!」だし、
怒っていないときには「何を心配しているんだ?ビクビクするな」ですよね。
でも、敢えて、この質問を投げかけてみたくなったのは、
今年の春から、購読を始めた「Ministry」誌の創刊号(2009年春号)の、
アリスター・マクグラス教授と森本あんり教授の対談を読んで。
途中からの購読だったので、創刊号からいっぺんに3冊くらいまとめて取り寄せて、最初の方は斜め読みだったんですね。ですから、この対談もちゃんと読んでいなかった。
今回、教会のメンバーとして転会される方がICU教会で森本先生から洗礼を受けられた方なので、「ほらここに出ているよ!」と見せたのがきっかけで、読んでみたのでした。
でも、実に面白いです。
ドーキンスやアトキンスなどの無神論者との対談を精力的にこなしているマクグラスは自分自身も元無神論者。
その中で、マクグラスはドーキンスに「あなたの無神論の背後には怒りがあるのではないか」と問いかけ、彼もそれを認めたと出てきます。
無神論の怒り、それは神は人々が災害に襲われているのに無力で無慈悲だとか、宗教は子供たちを洗脳してテロリストにしているとか、そういう事への怒り。
でも、読みながら思ったのは、もしかしたら、無神論だけではなくて、いろんな方々の歩みの中にはどこかに怒りがある。自分だってそう、もう忘れている、もう乗り越えていると思っていることの中に、まだまだ隠された怒りがある、それを感じることがあります。そして、そこに触れるようなことが出てくると、まるで八つ当たりのように厳しい態度に出る。怒りなんだか、甘えなんだか。
もしかしたら、私が出会う多くの人々の反応の中にも、
怒りゆえの反応がかなりあるのではないかと思わされました。
周りの人が戸惑うような反応。
どうして、自分はそんな反応をしてしまうのか、
自分の怒りの原因を知ることが癒しの第一歩でしょうか。
あなたも怒っていませんか?
あ、でも、この質問、逆効果ですね。
余計あなたを怒らせてしまうかも・・・。
今日は予告通り、雷雨はありませんでしたが、
暑い一日になりました。
でも、昨日までよりはちょっとましになって、最高は31.7度。
今は夜の10時前で、25度くらいまで下がってきています。
明日は曇り時々晴れで時々雷雨。
17日(土)の聖書。
ローマ人への手紙8章の最後の方です。
31−39節。
「そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」39節。
これも実感。
イエスの愛の大きさには、
自分はもう囚われた、という感じ。
主よ、
あなたの愛に感謝します。
私をあなたの愛の中に守ってください。
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