2010-05-05

立ち上がる前に。

朝になりました。
涼しい、爽やかな朝です。


今日は一日綺麗に晴れそうです。


昨日の朝、夢を見ました。
「私はあなたにこれから私の心の中を明かす」と神様に言われる夢でした。
それと同時に目覚ましがなりました。


ですから、すかっと目覚めて、「夢だしなあ・・・」「でも、神様が何か特別なお考えがあって、あんな夢を・・・」と思い巡らしながら、わくわくしながら教会に向かいました。


ちょうど、神様の導きを祈っていることが幾つかあったので、ビジョンが与えられることを願いながら。


でも、向かっている車の中で、与えられた思いは「悔い改めなさい」だったのです。


日曜日は子どもたちと大人と一緒にメッセージを聞く、という礼拝でした。難しさを感じながらも、子どもたちにも我慢させないで、でも、それと共に大人の一人ひとりが神の声を聞くことができるようにと祈りながら、語らせていただきました。


説教題は「さあ立ち上がろう」
聖書箇所はマタイ28:16−20。
復活のイエスが弟子たちに使命を与えて派遣するところ。


その中で、復活のイエスの前にひれ伏した弟子たちの姿に触れながら、「立ち上がるためには、普通は座っているところから立ち上がるんだけれども、神様のために立ち上がるときには、主の前にひれ伏して立ち上がる」「それまでもイエスの前にひれ伏した人たちはいたけれども、みんな『助けてください』ということでイエスの前にひれ伏した。でも、この時の弟子たちは、イエスを神として、人生の王として、その前にひれ伏したのだ」と自分が語られたことを分かち合ったのでした。


それが、昨日の朝、心に響いてきて、本当にまさに、自分自身こそが、まず、主の前にひれ伏さなければ、主の前に悔い改めるべきことを悔い改めることなければ、主は用いてくださらない、そのことを思わされ、悔い改めに導かれました。


それこそが、主の御思いの中心なんだと思います。
でも、もっともっと御心を開いてくださることを楽しみにしています。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ39:11−18でした。


「それは、あなたがわたしに信頼したからだ。」18節。

王に進言してエリヤを助けたエベデ・メレク。
主はその神への信頼に、特別な守りをもって報いてくださった。

主を信頼するものは慌てることがない、と。

私たちが神様に頼るのを忘れて、
人を恐れると、失敗をする。

主を信頼して、risk takingをしよう。

主がなしてくださることを見せていただきたい。

主よ、
あなたの事を信頼して、なすべきことをなす者とならせて下さい。
あなたの語りかけに感謝します。
続けて、あなたがみこころを示してくださいますように。


今日の一日がお一人ひとりにとって、幸いな一日となりますように!

No comments:

Post a Comment