2006-08-15

福音を恥としない

今日こそ、追いつこうと思っていたのですが、
たまっていたファミリーキャンプの仕事をやっていたら、
あっという間に一日が過ぎてしまいました。
340人くらいの方々が集まる予定のこのキャンプ、
ワシントンからボストンまでの日本語教会の合同企画です。

電話しまくり。
受けたのとかけたの合わせて30本以上。
メールも受けたのと出したの合わせて、70本近く。

まあ、直前にならないとやらない人間ですから・・・私。

ここで、またメールが70本を超える・・・。

きゅうり・・・「もう終わり」宣言を何回したでしょうか?
でも、この3日で、13本穫れました。
一本あたり平均が46本まで来ました。
ここまで来たら、3株で150本も夢じゃない。

あと、今日はピーマン5個穫れました。
一人一個ずつ、焼いて食べました。
ピーマンは「洗わないで」「丸まま」焼くのが一番おいしい、と思います。

「洗っちゃダメ」・・・板前さんに聞いた話。

では、日曜日、8月13日の聖書。
マルコによる福音書8章を読みました。
最後の38節の言葉、
「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしの言葉を恥じるような者なら・・・」
という言葉が心に留りました。

イエスの時代も「姦淫と罪の時代」と呼ばれていたのですね。

私たちの時代もそうでしょう。
テレビを見ても、映画を見ても、
「なんだこりゃ」みたいな話があります。
途中までいい番組だと思ってみていても、
そんな場面が出てきたらがっかりです。

そのような時代のなかで、福音を恥としない、
クリスチャンの生き方を恥としない、
そのような堂々とした生き方を主は求めておられると感じました。

イエスが存在をかけて、
命を張って語ってくださり、与えて下さった福音、救い、
それを恥じるわけがない、と思います。

堂々と、福音を語り、
救われた者として、感謝しながら歩んでいきたいと思いました。

そして、特に若い人々に、そのように生きて欲しいと思いました。

主よ、
わたしも福音を恥としません。
自分の姿は恥ずかしくなることがあります。
それでも牧師か、とか、それでもクリスチャンか、という声が、
自分の外からも、自分の中からも聞こえてくるように感じます。
でも、福音は恥になり得ません。
誇りです。
自慢です。
神様が愛して下さったこと、
そのすばらしさ、大きさに感謝します。
どうか、もっともっとそのすばらしさに目が開かれていくように、
導いて下さい。

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