2006-08-17

すべてを捧げる

今日も快適です。
昼間はちょっと暑いかなあ、と思い温度計を見ると30度くらい。
でも、朝は20度を切ります。
明日も、あさってもいい天気みたいです。
土曜日の夜には雨が降る、と天気予報は言っています。

今日、お借りしている教会の牧師さんとお会いして、
ちょっとお話をするチャンスがありました。
いつもは、そのまま、「じゃ」と別れるのですが、
今日は、「一緒に祈ろう」と先生が言ってくださいました。
考えてみたら、こんな風にその牧師さんと祈るのも初めてだと思います。
先生も闘いを覚えて、心に痛みを感じておられることがあって、
それをお話ししてくださって、共に祈りました。

このようなことがもっともっと必要なんじゃないか、と、そう思いました。

自分が英語で祈ることには慣れていないので、
自分の方から「祈りましょうか」とはなかなか言えないし、
こっちの方が若いし、お借りしている立場なので、
なかなかそのような雰囲気には成らないのですが、
今日は先生の方から声をかけてくださったので、本当によかったと思います。

私も教会の方々にもっともっと、「じゃ、祈りましょうか」と声をかけなければいけませんね。
たまには、「え、どうして?」って顔をする方もおられるでしょうが、そんなことを気にしてはいけませんね。
祈りましょう。
そして、私に突然、「祈りましょう」と声をかけられても、
「何かあったの?」「え、どうして?」みたいな顔をしないで下さい。よろしく。

明日は祈り会です。

多くの方々が来られますように。

今日はマルコによる福音書12章。
まだ、結論は出ていないのですが、考えさせられたことを一つ。
最後の44節。
ここでは、多くの人が神殿に献金をしています。
その中で、一人の未亡人が小さなコインを一つだけ献金しています。
それを見て、イエスは、「彼女が他の誰よりもたくさん捧げた」と言います。
そして、44節では、「この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」と言われています。

この人はこの後、どうしたんだろうか、と思いました。

だって、生活費の最後の一枚のコイン。
そして、未亡人で、誰もあてにはできない。

神様への信頼ってこういうことなのかと思わされました。

良く、日本の尊敬する婦人伝道者が言っておられました。
「エリヤの神は今も生きておられる。エリヤのカラスは今もいる」と。
エリヤという預言者は、ある時はカラスが持ってくる食べ物を食べていた、と聖書には書かれています。

その信仰が自分にはあるだろうか?
いや他に頼るものばっかりたくさん作って、
神様を本気で頼っていないのではないだろうか?

人、お金、経験、才能・・・。

本当にハングリーになって、
どうにもならなくなって、
祈らないではいられない、という状況は、最近自分にあっただろうか?

そんなことを思わされています。

未亡人になって、
最後の一枚までささげたら、
そりゃ神様しか頼れないですよね。

神様、
あなたが豊かに与えて下さっていることに感謝します。
たくさんの人々。
そう、あんなに一生懸命に奉仕して下さる教会のメンバーに恵まれて、
なんて幸せなんだろうと思います。
お金。
そう、財布の中に、銀行にたくさんではなくても、とにかく「ある」ことに感謝します。
明日の食事、どうしようか、
ではないですから・・・。
健康が与えられて、また働けることを感謝します。
家族を感謝します。

でも、そんなたくさんのものが与えられているなかで、
本当にあなたの前に出て真剣に祈る時、
あなたに必死になって「私を祝福して下さい」と言う時があるでしょうか?

主よ、どうか私があなたに近くなるために
必要な導きを与えて下さい。
それが時には、喜ばしいものではないとしても・・・。

主よ、あなたを信頼することを教えて下さい。

No comments:

Post a Comment