20度を超えて、春らしい一日。
日差しがぽかぽか。
でも、日が暮れてからやっぱり肌寒いです。
夜の12時で14度は十分暖かいですが、
このあと、寒冷前線が通過するので、一時雨が降って、
その後グンと気温が下がります。
明日は今日よりもワンランク気温が下がって15度くらいでしょう。
そんな陽気に誘われて、ウチの前の通りのOak Treeもついに開花です。
このぶら下がっているおしべにビッチリ花粉が詰まっております。
それがこれから2週間くらい飛びまくります。
今年も「君子危うきに近寄らず」で行こうと思います。
一気に暖かくなって、一気に開花して、その後大雨が降って、一気にすべてが流される、のが一番助かるのですが、今年はこのあとも気温が低めで、ずーっと、この花を楽しめそうです。勘弁してほしいです。
さて、月曜日の「日々のみことば」。
月曜日はサムエル記下の11章でした。
「女は妊娠したので・・・」5節。
もしも、バテシバが妊娠しなかったらどうだったんだろうかと思わされた。
ダビデは知らんぷりをしていたのだろうか?
ウリヤは死ななくてすんだのだろうか?
バテシバはウリヤに対してどんな態度を取っただろうか?
もしかしたら、もしもバテシバが妊娠しなかったら、
ダビデはその罪を告白することもなく、
罪をごまかして、そのまま逃げていたかもしれない、ふと思った。
でも、ダビデは結局のところはうまくいったのだった。
逃げることができたと思ったかもしれない。
酔わせてウチへ帰らせて、妊娠した子供がウリヤの子だと思い込ませることには失敗した。
でも、ウリヤを戦死させるという作戦には成功したのだった。
でも、ダビデはそれで逃げ切ることはできなかった。
彼は罪を示された。
もしも、ここでバテシバが妊娠していなくても、
神様はダビデにその罪を示されたんだろうと思う。
バテシバの妊娠自体がダビデの罪を暴いたのではなく、
神様がナタンを遣わして、罪を示されたのだ。
だから、結局は罪を示されるのは神様、
そして、私たちはその罪が示された時に、それを認めて悔い改めることが大切なんだ。
私も、聖霊様に罪が示された時に、それを恵みとして受け取ることができますように。
罪が明らかにされる時に、それによって自分が神様との関係に引き戻されるチャンスとして受け取ることができますように。
そして、悔い改めることができますように。
神様、
私に罪があるならば、それを示してください。
あなたが示される時に、従順に悔い改める者とならせてください。
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