2012-07-16

休むこと。

ちょっとここのところ、しっかり「休む」ことをして来なかったのですが、今日はしっかり休みました。メールのやり取りも一日、自分の好きなことや家族のことをしながら時間を過ごしました。


で、その休みつながりでもあるのですが、6月の2週目は岩手の宮古から、被災地支援を1年以上にわたって続けておられる牧師夫妻においでいただいて、お話を伺うとともに、休養も・・・と思い、教会としてお招きしまた。


そして、お伺いしたお話も改めてご紹介したいですが、今日は休む話。


どこまでお休みになれたかわかりませんが、本当に、どんな働きでも、ちゃんと休むことって大切ですよね。よりよい働きをするために・・・ということもあるけど、その人が本当にその人として生きるために、ちゃんと休むことが大切だと思います。つまり、走り回っていないと何か悪いことをしているかのような、自分の価値が見いだせないような、そんな状態になってしまいやすい私たちが、ちゃんとゆっくり休んで、神様とゆっくり時間を過ごしていく中に、「ああ、自分は自分でいいんだ」と感じることって本当に大切だと思うのです。何かをすることにではなく、ただここに生かされていることに意味を感じる、そういうひと時。


で、火曜日に到着された先生方は雨の一日だった火曜日には十分睡眠を取っていただいて、水曜日から、ペンシルベニア州のランカスター地方にご案内しました。


今も、電気や車を使うことを拒否し、馬車で生活しているアーミッシュの方々が多く住む地域です。






こんな馬車がひっきりなしに通ります。


ゆっくりと時間が流れるところで、ゆっくりと過ごしていただきました。


そして、ご夫妻の雰囲気がちょっと伝わる一枚を。




写真を撮る夫をじっと暖かく見つめる妻・・・って感じ。
こうやってずっと働きを続けておられるんだなあと思います。


今回の1週間の滞在がこれからの働きのために、少しでも力になれば・・・と思わされます。


久しぶりに「今日のみことば」から。
先週読んだ言葉ですが、コリント第一の手紙1章17節。


「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」


本当にそうだと思いました。
いつの間にか、洗礼を受けた人の数が、その教会の祝福をはかったり、牧師の働きを評価したりするような基準になっているように思う。少なくとも自分の気持ちの中にはそういうものがあったと思う。


でも、私の使命は、「福音を宣べ伝える」ことにあったんだと、もう一度思わされました。


神様、
いつもいつも忠実にあなたのメッセージを語る者でありますように。
あなたがいつも語るべきことを教えてくださいますように。

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