2012-07-17

めげないで出て行くこと。

今日は暑かったです。
38度以上に上がりました。
湿度はそれほど高くなかったんですが、日差しが強くて、車の中が高温になるので、外に出るのがちょっとおっくうになるくらい。


今夜から明日にかけて蒸し暑くなり、
明日は午後から雷雨の予報です。


今日は最初から「日々のみことば」の話。


今日、6時頃に起きて読んだのが、コリント第一の手紙9:19-27。
その中で目に留まったのが、24−25節。


「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」


伝道する者の真剣さ、情熱を感じました。
で、朝からこんな箇所を読んだら、昨日3週間ぶりに再開したジョギング、ちょっと筋肉痛かな、ということで休んでなんていられなくなりました。
で、走りましたが、本当に何度も何度も、「もういいや」というポイントを通って、とりあえず目標の30分。昨日よりもちょっとペースは遅かったようですが、走りきりました。


明日の朝はものすごい蒸し暑い予報が出ているので、自重して、今度は金曜日の朝くらい、と考えていますが、本当に自分との戦い、という部分もありますね。


でも、私たちが主の働きのために立ち上がる時に、その働きは主と共になす働きだということ。主が力を与えてくださるからできる。いや、本当に私たちの弱さに主の力を表してくださるから、恐れないで働ける、そう思います。


さて、先月の半ば、もう1ヶ月前になりますが、岩手から来られた先生ご夫妻、個人的にお話を伺ったり、集会でお話をうかがったりしている中で、本当に大切なことを教えられたように思います。7−8月号のニュースレターで、分かち合わせていただきましたが、リンクだと切れてしまう可能性があるので、その文章をここに転載します。






6月の中旬に、昨年の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県宮古市から、宮古コミュニティーチャーチ牧師の岩塚和男先生ご夫妻をお迎えして、お話を伺う時をもちました。本当に遠く離れたところにいる私たちには少しずつ過去のものになりつつあるように感じてしまうあの大きな震災が、現地に歩む方々にとっては決して過去のものではなく、今も、皆さんが、たくさんの戦いや、大きな不安の中に歩んでおられることをもう一度、認識する時となりました。 その中で、先生方がお話をしておられたことの中で、一番印象に残っているのは、震災直後のことでした。 教会堂は津波があと50メートルのところまで来たものの、無傷ですんだので、大きな紙に「避難所に使ってください」と書いて窓に貼っておいた。すぐに電気が回復したので「携帯の充電できます」と書いて窓に貼っておいた。でも、誰も来なかった。待っていても誰も来なかったというのです。そこで、先生は避難所を回って行った。「教会の牧師です」と言っても、「宗教活動はお断りです」と相手にされなかった。お寺の住職には話をしてもらっているのに・・・。別に先生は伝道しようと思っていたわけではなかった。ただ、本当に多くの人々が痛みを覚えている中で、人々に仕えたいと思っておられた。そして、本当に膝をついて、体を使って、人々に仕えて行った。教会に届けられる世界中からの支援物資を周りの人々に配り、人々からの善意の支援物資が避難所や倉庫に山積みになったままになっていたのを見て、その仕分けと配布を自ら買って出て、それを空っぽにしていった。少しずつ、少しずつ、人々の信頼を得るようになっていった。家を失った人々が避難所から仮設住宅に移っていった後も、丁寧に丁寧に仮設のリーダーと連絡を取り、信頼を勝ち取っていった。一軒一軒人々の安否を問いながら、訪問を続けた。「来るな」と言われた家でも、家から出られなくなった人々、昼間からお酒をあおっているような、とっても放っておけない人々は、何度も何度も訪問を続けた。そして、今は訪問を待っている人々、訪問を待っている仮設のコミュニティーがいくつもあるという。 どんなにすばらしい施設を持っていても、どんなにすばらしいメッセージを持っていても、どんなにすばらしいサービスを提供できても、いつまでも待っているだけだったならば、先生方は人々と出会うことはできなかったでしょう。どんなにか出て行くことが大切なのか、ということを思わされます。 イエスは言われました。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と。私たちがもっともっとこの地域のコミュニティーに出て行って、人々に仕えることができますように。


私たちが出て行くべきところ、それを問いながら、でも、いつまでも考えているばかりではなくて、具体的に形にしていければと思います。

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