今日も涼しい一日でした。
でも、夜になって雷雨があって、
一発、「おおお」というのがありました。
明日は蒸し暑くなって、また雷雨がありそうです。
さて、のんちと3日ぶりくらいに話をしたのですが、
今は石巻の河北にいます。
ここは2005年の石巻市への合併前は
「河北町」だったんですね。
「雄勝」も「雄勝町」。
だから、地元の方々にとっては、
「石巻」と一緒にされるよりも、
「河北」「雄勝」とちゃんと言ってほしいんだろうなと思います。
昨日は河北の大川小学校や雄勝に行ってきた、と言っていましたが、
大川小学校では避難する途中に津波が襲ってきて多くの子どもたちが亡くなり、
雄勝病院は屋上まで津波に飲まれ、患者さんは全員亡くなられ、職員も数人しか助からなかったところです。
「震災うつ」のことを考えると、気をつけなければいけないのですが、「アメリカにいる方々にも伝えてほしい」その叫びをきくと、やはり目を背けてはいけないのだな、と思います。
先日の内村先生の言葉にもありましたが、
その叫びを受け取ったわたしたちがどのようにお応えするか、
問われているように思います。
これから仙台に戻って、ベースで一泊させてもらって、
「半額の新幹線」に乗って、水曜日には東京に戻ります。
来週の火曜日にはいよいよ帰米です。
その前に、今度の日曜日は、先日の「アナウンス」どおり、
4時から木場の教会で報告と祈りの時を持ちます。
本当に皆さんのお祈りに感謝します。
2ヶ月、本当に支えられました。
m(._.)m
あ、先日ボランティアをしていた山元町のこと、
糸井重里さんがフォローされるようですね。
「山元町と手をつなぐ」
なんだか、温かい思いを感じます。
糸井さんと言えば、最近になって、
「ほぼ日」で、吉本隆明さんが「親鸞」について語っている、
この部分、これをもっと大きなスケールでやったのがイエスじゃないか、と思わされています。「宗教(浄土教)のほうから、普通の人の生活のところへ、逆に近づいていけばいい。」神はわたしたちに、わたしたちの普通の生活に近づいてくださった。どこまでも、共に歩もうとされた、それがイエスの受肉。
・・・決して我田引水じゃないと思います。
ちょっと深く考えてみたいテーマです。
話を戻しましょう。山元町のこと、
あと、「クリスチャン新聞」でも紹介されていました。
山元町中学校・新人クリスチャン教員の思い
「アメリカから来た看護師で、牧師夫人と会った」とありますが、のんちはこの先生と、この前日、9日にお会いしていたんですね。
先生が、その地で豊かに用いられますように。こちらからも心から祈っています。
さて、今日の聖書。
今日は民数記27:12-23を読みました。
「ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」14節。
この出来事が起こったところを読んだ時も、同じようなことを書いていると思うんだけど、「神様の聖なることを示す」「神様を聖なる方として人々に表す」その使命を果たせているだろうか。主の力を指し示しているだろうか?主の愛を、主の大きさを、主の豊かさを、主がわたしたちを超えて果てしなく大きな方であることを示しているだろうか。
わたしの使命を思わされた。
本当にそのように歩ませていただきたい。
主が聖なる方なのだから、
主の聖なることをそのまま表すことができますように。
主よ、
あなたのきよさを覚えます。
そのあなたの大きさ、あなたの愛の深さ、
あなたの豊かさ、それを示すことができますように。
明日は、初めての方をご訪問します。
そこで、主の聖なる方であることを、
主の愛がどれほど豊かであるかを、
分かち合うことができますようにどうかお祈りください。
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