2011-03-20

次の世代のために。

今日は朝はちょっと氷点下。
で、昼間はずいぶん暖かくなりましたが、
夜になって、また冷えてきました。
今は夜の10時で、4.1度C。
これから明日は雨で、朝のうちは雪も混ざるようです。


今朝はまだ起きる前、ベッドの中でメールを見たら、若い男の子たちから、2つのメール。
一つは去年の元旦に信仰に導かれて、3日に洗礼を受けてロンドンに住んでいる子。
そこにはこんなビデオへのリンクが貼られていて、
今の日本のために、少しでも人々を元気づけることができるようにと、
教会の祈り会の様子かな、若い人たちの集まりの様子かな、
映像、という彼のできることで、正しいことをしたい、と思ったということでした。



彼に与えられているものが、神様のためにもっともっと用いられるようにと祈ります。


そして、もう一人は、今年の1月にウチに泊まりにきた、ハジの友達の大学生の子。
あのアトランタの雪のおかげで、飛行機がキャンセルになって、
「わおー、どうしよう・・・」とハジと二人でばたばたしたあの若者。
1月11日の日記。


その彼が、「ハジから聞いているかもしれませんが、バプテスマを受けることになりました」というメールでした。


そして、NJに来ておられたときに神様から背中を押された経験のことも。


ハジから何にも聞いてねえ。
でも、本当にうれしかったです。


次の世代のために・・・ということを切実に感じることの多い、今日この頃。
息子の世代の若者たちの中に起こっていることに本当に心が震える思いです。


大感謝!!!!


今日の週報のコラムにはこんなことを書かせていただきました。


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あの地震から9日がたちました。
今日もまた瓦礫の中から発見された方々がおられたそうです。今も救出を待っておられる方々のために、救出のために尽力されている方々のために、避難生活を送っておられる方々のために、大切な方をなくされ方々のために祈ります。
また、この9日間、不眠不休で福島の原子力発電所の制御のために命をかけて尽力されている方々のために祈ります。
緊急援助、復興援助のための働きが広がりを見せていることを感謝します。瞬発力が与えられている方々がおられます。神様はあなたを用いておられます。スタートダッシュは本当に大切です。あなたのおかげで多くの「何かしたいけど・・・」という人々が、その何かを見つけることができました。「瞬発力はないけど持久力が与えられている方、神様は、日本はあなたの存在をどれだけ必要としていることでしょうか。この先の道のりは本当に長いです。苦難が続きます。注目する人もどんどん減っていくでしょう。あのスマトラの大津波の後の地域のことを私たちのほとんどの者たちが忘れているように。でも、その中で力を発揮するのは持久力のあるあなたのような方々です。若い方々、皆さんの情熱に感謝します。あなたがたの力がなければ、日本の将来はありません。これからの復興の原動力は皆さんの力です。年長の皆さん、あなた方の叡智に感謝します。そのたくましさ、しなやかさ、それはあの戦争の中を通ってきたからでしょうか?戦後の復興を見てきたからでしょうか?あなたがたの知恵を私たちのために使ってください。
一人一人働きが違います。ある特別な人々がHeroとして注目されます。でも、みんな、一人一人役割を担っているのです。自分の与えられたところで与えられた役割を果たしていくこと、そして、日常のコミュニティーの中に生きていくことを大切にしていきましょう。

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本当に一人一人が自分に与えられた人生を生きることができますように!


今朝は、東電の原発のすぐそばにある福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰先生のメッセージを聞きました。今は避難されて、山形県の米沢に教会の50人くらいの方々とともに身を寄せておられます。教会の皆さん、先生ご自身、どんな所を通って来られたか想像できません。本当に暖かい、明るい先生で、私も5年前にお会いしたときに、たくさんアドバイスをいただいて、励まされたのですが、今回も「『福島第一』の名前は原発よりも教会が先だ!」とか、いくつもの笑いを交えながら、お話しされて、本当に励まされたのですが、その中の「私達が礼拝ができるのは当たり前じゃないことを思わされた」という言葉、心に留まりました。そうなんですね。私達が礼拝をできるのはあたりまえじゃない。本当に神様の守りと導きの中で起こること。そして、何よりもイエスの十字架故に与えられていること。


今日の礼拝を心から感謝しました。


さて、今日の聖書。
今日は民数記の11:16-25。


「主の手が短いというのか。」23節。

昨日の11章1節からのと、明日の今日の続きも一緒に読んだ方がいいと思うのですが、多くの人々の必要の前に、モーセは「自分で背負わなければいけない」という思いでつぶれそうになっていました。人々の愚痴をまともに受け取って、「自分にはできない!」とパニックを起こしていました。でも、そのモーセに向かって、神は、「あなたではない、私がするんだよ」と言われたのです。

主を信頼すること。
主がしなさい、と言われたら、「私は感知しない」ではなくて、どこまでも支えてくださること、主ご自身がなさることを、私達は信頼して、ついていけばいいのだということ。それを信じて従うことが大切なこと、思わされます。

主の御業を見せていただきたい、そう思います。

主よ、
あなたの若い男の子たちのうちになしてくださった大きなことの故に心から感謝します。どうか、これからも、次の世代の人々に大切なことを伝える働きをさせてください。あなたのみ手を信頼して歩ませてください。

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