2011-03-03

役割を果たす。

今朝、何度まで下がったんでしょうかね。
気がついたら-6度Cでしたが、
-10度近くまで下がったんでしょうね。
昼間は、ちょっとだけ、プラスに上がったみたいです。


そして、夜になってまた冷えてきています。
今10時半ですが、-4度。
明日も-7〜8度までは下がりそうです。


今、KGK(キリスト者学生会)のリーダー訓練会がもたれているんですね。
その総主事をされている方と、初めて会ったのが、
彼のブログにもある1984年の学生訓練会。27年前かあ。
スモールグループも一緒だった。と思う。確か。彼も「その時の一週間は、その後の私に大きな意味をもたらした。聖書(教理)の学び、人格的な深まり、信仰の友との真剣な会話、ひとつひとつが私にとって大切な経験だった。」と書いているが、自分にとってもそうだった。全く新しい経験だった。それまで一つの教団の一つのタイプのキャンプしか知らなかったから、衝撃だった。それまでの自分の「キャンプ」は、楽しく、明るく、にぎやかで、それでいて、いつも明確な悔い改めを迫られるような場所だった。
でも、この訓練会は、静かにゆっくり流れる時間の中で、自分と向き合い、御言葉と静かに向き合い、信仰の仲間と語り合い、本当に深いところまで探られる時だった。
一人の牧師の息子がいて、本当にいつも教条的な、お説教の様な発言ばかりしていた。彼にその問題をはっきりと語ることができたのも、そして、彼がそれに応えてくれたのも、とても貴重な経験だった。
スタッフの主事のことも思い出す。
若者たちの心の中にあるものを引き出す不思議な魅力のある主事だった。
その後、一緒に奉仕をしたたくさんの仲間たちがあそこで時を共有した30人ほどから生まれた。今も、世界各地でそれぞれの働きを担っている。


ああ、神様が、私をあそこに導いてくださったんだなあと思う。




さて、今日の聖書。
今日は民数記3章1-13節


「彼らは油注がれて祭司の職に任じられた祭司であった。」3節。

新約の時代、この「祭司」は牧師のことではなくて、
すべてのクリスチャンのことをさしています。
いわゆる「万人祭司」。
これはうっかりするとリーダシップのことをさしているかのように誤解されることがあります。教会のすべての職制を否定する言葉として利用されることがあります。

でも、祭司は、リーダーではありません。
祭司はとりなす人です。
罪を犯した人々の側に立って神に対して取りなし、
神の赦しを告げる存在です。

ですから、私たちは互いのためにとりなしをして、
また互いの罪の悔い改めを聞き、
それに対して、イエスの十字架による赦しを宣言する責任があるのです。

・・・さて、ここまではこの聖書を読むための前提の話。

ところが、私は今朝、ここを読んだときに、
必ずしも、そういう教理的なことよりも、
自分の「JCCNJの牧師」という神の与えられた役割を、
果たすことの大切さを思わされたのです。

世界の何十億人と言う人々の中で私一人が与えられたこの使命。
そのことを果たす責任を思わされました。
「この教会を頼んだよ」と。

また、のんちの夫という役割も。
世界の何十億人という人々の中で私一人が与えられたこの使命。
「この人を頼んだよ」と。

与えられた使命をしっかり果たさせていただきたいです。

主よ、
あなたの与えられた使命、役割を感謝します。
どうか、あなたの与えられた働きに忠実な者とならせてください。

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