2011-03-02

一人が蒔き、他の人が刈り取る。そして共に喜ぶ。

3月になりましたね。
日付は変わってしまいましたが、
本当に春になってきたな、という感じです。


今は夜の1時。外は-2度Cまで下がってきました。
明け方にはもうちょっと冷えそうですね。-4度くらい。
今日は昼間は暖かいですが、夜はぐっと冷えそうです。


日本である方が洗礼を受けられたとニュースが入ってきました。
昨年、1月に旅行中にNJの教会に来られて、
その後、日本でもお会いした方。


11月にもう一度NJに来られたときには、喜んで教会に通っておられることをお話をしてくださったのですが、先日の日曜日に日本の教会で洗礼を受けられたそうです。


神様のなさること、不思議な導きがあったことを思いますが、その導きの中に自分も入れてもらったことは、本当にうれしいことです。


そう、去年、その方が来られた日本での祈り会のことを思い出しいました。
去年の1月の終わりから2月の初めまでの日本訪問のことをもう一度自分のブログを読んで思い出していました。本当に神様は使命を与えて送り出してくださったんだなあと思わされます。


月曜日の森繁さんのコンサートの中で語られて、本当に厳粛な思いになったのですが、「私たちの存在には目的がある。そして、それは私たちを造られたお方が持っておられる」。そこに生かされる喜びを感じています。そして、そこにこだわって行くことの大切さを思わされます。


若き小沢征爾さんがあるコンクールで、指揮をしたら、オケのメンバーがあるところで間違えた。もう一度、とやり直してみるが、やっぱり間違える。「楽譜通り弾いてください」「ちゃんとやっています」。え?と思って楽譜を見ると本当だ。そのとき、彼は言った。「この楽譜は間違っている!」そこで、オケのメンバーと審査員からの拍手。そう、彼はテストされていたんですね。ここぞと言うところで、動かされないものを持っているか。そんな逸話をどこかの本で読みました。


そこまで確かだと言えるものを持たせていただきたい。もちろん、客観的に確認されなければいけない面もある。狂信的にならないために、独りよがりにならないために。でも、そのときにどんな声を聞くか?ある同労者が言っておられた。「その人は、あなたのためにどれほど祈っている人ですか?」と。


話が広がってしまったけれど、イエスが言われた通りだ。
「蒔く者も刈る者も共に喜ぶ。」


さて、昨日、3月1日の聖書。
昨日から民数記。
民数記の1章。


「すべて軍務につくことのできる者を・・・」3節。

私たちの信仰の歩みが「戦い」にたとえられているところが多い。
そういうところを毛嫌いする方々も時々ある。
だから、知恵も必要だと思う。
私も絶対平和主義者ではないが、
やはりできるならば、非暴力を貫きたい。
だから、こう言う表現には抵抗がないわけではない。
でも、やはり信仰の歩みは、「戦い」であろうと思う。

その戦いの準備はできているだろうか?
戦いの覚悟はできているだろうか?

主のもとで安らぎ、主のもとで守られ、
でも、それとともに、確かに闘いがある。

「負けるんです」「ダメなんです」

そうだ。

だから、私たちには神様が必要なんだ。
神様に全面降伏しなければならないのだ。

自分の力、自分のがんばりではなく、
聖霊様の力によって、
神様の力によって歩んでいく、
それこそが、「戦いの準備」だ。

主よ、
どうか、あなたの力によって武装し、
聖霊様によって力を頂いて、戦わせてください。
そして、勝利を与えてください。
あなたに従います。

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