2011-10-24

JFK

土曜日からダラスに来ています。
ダラスのノーステキサス日本語バプテスト教会の礼拝と夕拝のメッセージのためにお招きいただいてのご奉仕です。


ノーステキサス日本語バプテスト教会

すばらしい教会で、暖かい皆さんに励まされる一日でした。


ちょっと考えるところがあって、
土曜日には早めに着いたのですが、
結局、土曜日には時間が空きました。
ホテルのチェックインまでに時間があって、
ご案内下さった皆さんが、「ダウンタウンに行きますか?」
と誘ってくださったので、「ぜひ」と、行って参りました。


観光のことは全く頭になかったので、
忘れていましたが、
ダラスと言えば、JFKが暗殺されたところ。


NYではJFKと言えば、空港ですが、
ダラスではThe Sixth Floor。直訳すると「6階」です。
Texas School Book Depositoryという建物の6階から
ケネディ大統領を暗殺した犯人がライフルを撃ったということになっているので、
そこが博物館になっているんですね。




このビルの上から2番目、一番右の窓、ちょっと形も違うし、ちょっと開いている窓です。
この博物館は長蛇の列だったので、入場しませんでしたが、
その現場を歩きました。


この窓から左下の方に進んでいたJFKの車が狙撃されました。
30度近くまで気温の上がった秋の日。
みんな半袖半ズボンでした。
自分は5度まで下がったNYからですから、汗がにじんできます。




この道の、青い服を着たおじさんの右で一発目。
道路に×印が着いています。拡大すると・・・。




そして、少し進んで、致命傷となった2発目です。




こちらも拡大。


悲しい出来事ではありますが、
歴史上の大事件の現場に立つのは、不思議な感覚があります。
私はあのとき・・・って覚えてないけど、生後5ヶ月でした。


世界がひっくり返る歴史的事件が起こったあの十字架の場所に立ったら、
私はどんなことを感じるのでしょうか・・・。
悲しい出来事でありながら、勝利の出来事、
痛みの出来事でありながら、私たちに圧倒的な喜びを与える出来事、
イエスはおとぎ話の中で十字架にかかったのではなくて、
この歴史の中で、生身の人間として十字架にかかった、
その重さを自分はどこまでわかっているのだろうか・・・。


ここのところ、ずっと使徒行伝を読みながら、
ずっとここにはアップできないでいましたが、
パウロのうちにあふれる力、その中にみなぎる使命感に驚かされていました。
どこの言葉が・・・というのは最近なかったのですが、
最近の礼拝の中で教えられた、
「祝福は、ぶどうの粒から中の果汁があふれてくるようなもの」(イザヤ65:8)というペデルセンの描写をパウロの生涯の中に見てきました。

苦難の中でも、迫害の中でも、囚われの身になっても、
その内側からあふれてくる力。

私の人生にも、
私の力ではなくて、
神様の祝福があふれますように。

日本的には「私なんか・・・」なんでしょうが、
神様からもらった人生であり、神様から与えられている祝福なんだから、
「こんなもの・・・」なんて思ったり、言ったりしてはいけませんよね。

神様が私のうちに満たしてくださっている祝福を、多くの人々に見ていただくことができますように!!!

主よ、
あなたの与えてくださってる祝福を感謝します。
私の生涯を通して、あなたの祝福がどんなものかをあらわしてください。

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