2011-09-16

6ヶ月。


今は金曜日の夜@函館です。
朝、書き留めたことをアップ。 

金曜日の朝@宮古です。
ネット環境がないのでアップできるのがいつになるかわかりませんが、忘れないうちに・・・。

昨日の朝の東京は6時前でも「何で〜?」と思うくらい暑かったです。
そして昼頃に着いた宮古も暑い。じっとしていても汗が噴き出して来ます。
前日は雨も降って涼しかったようですが。

そんな中、宮古で牧師をしておられる聖書学院時代の先輩である岩塚先生が、先生や岩手各地また全国、いや、全世界から来られるボランティアの方々の働きを見せてくださいました。

今宮古周辺の20の仮設住宅を州に1回程度ずつ回って、物資を届けて、その時にご様子を伺ったり、テントを張ってカフェを開設して、憩いの場に使ってもらったり、子供たちのためのプログラムを持ったりしているそうです。宮古周辺の67割くらいの仮設にかかわっておられるそうです。

昨日伺ったのは、被害の大きかった田老地区の2つのカフェ。世界から研究者が集まって来て見学する、そして地元の方々にとっても誇りであった、X字型の大堤防。その外側の部分は破壊され、まさかの内側の堤防も乗り越えて40mの津波が押し寄せて来たと言います。そしてすべてを海に引きずり込んで行った。堤防の外は瓦礫も残っていなかったそうです。

6ヶ月。

宮古は片付けが進んでいる方で、瓦礫の分別が進んでいました。

そこから立ち上がりつつある方々と、立ち上がれない方々。

「こういうカフェがないと、互いに話すこともない、という方々もおられる。カフェで『隣りの○○です』と互いに挨拶をする方々もおられる。だから大切な働きだと思う。でも、カフェに来れて、そこで人々と話ができる人はいい。もっと目を向けなければいけないのは、ここにも来れない方々だ。」と先生は言われます。

本当に地域の方々と寄り添い、出会う方々一人一人に声をかけて、共に生きようとする先生の働きに頭が下がりました。

そして、お伺いしました。「何が一番大変でしたか?」と。

「最初の10日間。」

電話もなかなか通じず、経済力もマンパワーもなく、何かしようと思うんだけれども、何もできない。それがきつかった。そんな中で、ガソリンを積んで来てくれた方々がおられたし、トラックいっぱい荷物を積んで来てくれた方々がいた。そして、その多くはアメリカ人の宣教師だった、と。どうやってガソリンを手配したのか、でも、とにかく動いた結果、動けたのでしょうね。

やはり機動力の大切さを感じました。
                                                                                                                               
何かが起こってから動くのではなく、いつでも動けるようにしておくこと。
そして、会議をしていないで、逡巡していないので動くこと。
みんなが行きたかったのだと思います。なんとかしたかった。
海の向こう側で、地球の反対側でもみんなそう思っていました。
ですから、日本の方々はどれほどだったかと思います。
そして、邪魔になってはいけないとか、ガソリンがないからとか、
それで時を待っていた方々も多かった。
その判断が間違っていたとは思えません。

でもやはりその一方で機動力を生かして動いた方々によって助けられた方々がどれだけおられたか。

そして、6ヶ月が経ったこれから・・・。

忘れられてしまうのではないか、と。
夏休み明け、ボランティアの方々が減るのでは、と心配しておられましたが、それでも与えられているそうです。でも、この先どうなるのか、そして、厳しい冬がやって来ます。外に出ることもままならない中で、冷え込む仮設の中で、もっともっと多くの働きが必要とされています。

6ヶ月の間に起こったことを、24時間の滞在の中でどれだけ知ることができるのだろうか、と思います。大切なもの、大切な人を失った方々の痛みに寄り添おう、共に生きて行こうという先生の持っておられる思いと、訪問者である私の思いにはどれだけの違いがあるかと思います。

でも、先生は発信して行くことの大切さをしきりに語っておられました。
今は時の人となって、メディアからも「こういう記事が欲しい」という予断を持って取材を受けているな、と感じるときもある。
インタビューが記事になる時には、自分の意図と違うことが書かれることもある。

でも、そんなリスクがあっても、ちょっと「あれ?」と思うことがあっても、発信して行くことが自分の使命だと。その先生の働きに少しでも共に歩むことができれば、と思います。


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