「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」第2コリント15章58節
今日は久しぶりの我が家での集会。
いつも来られている方々でご都合の悪い方もおられて、
始まるまでは、「余り来られないかなあ」と思っていましたが、
開けてみたら、先月ゲストが来られたときに続く沢山の方々が来られました。
その中に初めてお会いする方もおられたのですが、
その方が言っておられたこと。
10年くらい前、他の州で学生をしていたとき、
日本語で聖書の話を聞く集まりに行っておられたそうです。
その町には常駐の日本語牧師はおられなくて、
他の町から月に1回、回ってこられていたそうです。
その先生の名前を伺ったら、私も知っている方。
今は日本におられると思いますが、私も15年以上前ですが、お会いしたこともあると思います。
その方が言っておられたのですが、
「先生は私のことは覚えておられないと思いますが、私はその集会で語られる言葉で、何度も救われる思いをしました」と。
「水の上にパンを投げなさい。多くの日の後に、あなたがたはそれを集めるから」という言葉も聖書の中にはあります。
その先生ももしかしたら、その方の言葉のとおりに、忘れてしまわれているかもしれません。でも、それは無駄にならなかった。
だから、いつもいつも、忠実に、誠実に、愚直に、聖書からのメッセージを語り続けたい、今日はそんなことを思わされました。
感謝。
今日はすっかり雨も上がって、
いい天気になりました。
昼間は「過ごしやすい」と思ったのですが、
夜になったら、湿度が高くなってきて、
ベタッとする感じがします。
10時半で気温は24.9度。
明日も蒸し暑い一日なりそうです。
気温も今日よりも上がって、35度くらいまで行きそうです。
夜にはちょっと雷雨があるかも。
今日は7月11日(日)の聖書。
ローマ6:1−14。
「このように、あなたがたも、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」11節。
この「思いなさい」っていうのがキモ。
実感に任せていてはいけないのだと思う。
「自分は罪に死んだなんて思えない」とか、
「自分の生活はイエスに対して生きているなんて言えない」とか、
「実感がない」とか、
私たちは考える。そして、口にする。
でも、聖書は、
「いや、あなたがどのように思おうとも、どんな実感があろうとも、あなたはイエスを救い主として受け入れて、バプテスマを受けたときに、罪に対して死んで、キリストにあって生きているのだ」と私たちに語っているのだ。
だから、もう罪に支配されるような生き方はやめなさい、というのだ。
実際のところ、自分の実感と、聖書の言葉とどっちが正しいのだろうかというと、聖書の言葉なんじゃないかと思う。ちょうど天動説に人々が支配されていた時代に、地動説が提示されたように、私たちが自分の実感に支配されているところに、聖書のメッセージが投げかけられている。
「思いなさい」と言われているのだから、そうすることにしよう。
主よ、
私は罪に対して死んで、キリストによってあなたに対して生きている者です。
そのことを、信じます。そのように自分の人生を見ます。そのように自分の存在を見ます。
そのことを、また実感を持って知ることができますように。
自タイがシカゴにも出没しました〜〜〜!!
ReplyDelete夜9時半頃、悪徳マネージャーと二人で、突然!
5分くらいいて、あっという間に去っていきました〜〜!
インパクト強すぎ!
はちこさん、
ReplyDelete自タイ、やっぱり出ましたか?
それも今度は教会ではなく自宅?
それも9時半頃?
新しい動きですね。
気をつけましょう!