2006-08-12

たやすくない救い

一週間、ぼちぼち、野菜の収穫をしていましたが、
きゅうりはまあ、終わりました。

まだ明日以降も何本か穫れるとは思うのですが、
だいぶ枯れてきて、新芽も勢いがありません。
10日前には40度くらいまで上がって、
今朝は13度ですからね。

3株で125本。
一株あたり42本くらい穫れたことになります。
大成功!

インゲンも、忙しい時には捜していられないので、
おばけインゲンがどんどん成っていきます。
今朝は特大サイズばかり23本。
こちらは数えたのだけで、400本を超えました。

ナスはできはじめるとリスが食べます。
ナスの「枝」に登って食うので、
枝が何本も折れました。
まだこれから穫れると思いますが、今のところたった10本。

そして、今朝、遅れていたピーマンを初めて収穫。
うーん、日本のピーマンのサイズを忘れてしまっていますが、
それでも小さいかなあ、と思いつつ、待ちきれずに収穫。

ニュージャージーでは、

秋は駆け足でやってきて、去っていきます。

そして、冬になると

(^^)/

「天気予報の季節」です。

ちょっと気が早い・・・。

で、月曜日の聖書です。

月曜日、8月7日には、
マルコによる福音書2章を読みました。

9節の
「中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」
というイエスの言葉が心に留りました。

「やさしい」という日本語には
「優しい」・・・kind
「易しい」・・・easy
の二つの意味がありますが、この場合、easyの方です。

聞く側にとって、どちらが優しい言葉か、

ではなくて、

語る側にとって、どちらが気軽に語ることができるか?

です。

ですから、答えは「起きて、床を取り上げて歩け」

です。

「あなたの罪は赦された」の方が、
難しい、というか、イエスにとっては難しかったはずです。

神の子キリストにとっては、人の病を癒やすことは存在をかけることではありませんでした。
その御力をもってできることでした。
でも、人の罪を赦すことは、
イエスにとって、自分のいのちをあの十字架の上に投げ出すことが必要だったのです。

そこまでして、私たちの罪を赦そうとしたイエスの熱い思いを感じました。

私も熱い思いでその福音を語っていく使命を思わされています。

主よ、
あなたの熱い思い、
たやすくない、易しくない、存在をかけた言葉を語ってくださったあなたのゆえに感謝します。
どうか、私も、あなたのその思いを受けて、
あなたの愛に満たされて、
熱い思いで出ていく者としてください。

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