2013-10-18

復活しようかなっと。

このブログ、今年の夏あたりから、ほとんど休業状態でしたが、
何かきっかけをもらって復活しようと思ってきました。

今日は特に何もないのですが、

復活します。


秋ですし、




大きなことが何もない方が、時間的にゆとりがあるので、いいきっかけです。

ここのところ、NJは穏やかな暖かい秋の日が続いています。
朝は10度くらいまで下がる日もあるのですが、
昼間は20度くらいまであがり、昨日などは25度を超えて暑いくらいでした。
昨日の夜、雨が降って、少し涼しくなったのだと思いますが、
今日も20度近くまであがって来ています。

週末にかけて穏やかな日が続きそうです。
でも、来週後半は冷え込む予報が出ています。
初霜、初氷もそろそろですね。

「日々のみことば」はその後、新約聖書を読み続け、ヘブル人への手紙まで行っています。

それを一章一章書いていくのは大変なので、書物ごとに心に留まったことを書いていきます。

今日は最後に書いた使徒行伝の22章よりあとの部分から。(読んだのは7月でしたが、そのときに線を引いたところから。)

「その夜、主がパウロに臨んで言われた、『しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない』。」(使徒行伝23:11)

囚人となったパウロは自分の自由を奪われながらも、イエスの証人としての働きを続けていく。自分はいろんなことを状況のせいにして、これがこうだったらいいのにとか、こうだったら、もっと多くの人に伝えられるのに、と思ってしまうことがある。でも、そうではない。どんな状況に置かれても、私たちはイエスを伝えることができるのだ。

「翌日、アグリッパとベルニケとは、大いに威儀をととのえて、千卒長たちや市の重立った人たちと共に、引見所にはいってきた。すると、フェストの命によって、パウロがそこに引き出された。」使徒行伝25:23

威儀とを整えてやって来たアグリッパとベルニケの夫婦。彼らは地位があった、権力があった。そんな中で、威儀を整えなければならない。そんな人がいる。でも、パウロは囚人だった。囚人でありながら、彼の方がことばに力があった。自分も「牧師」という肩書きや、服装や、儀式、そのようなものがなくても、イエスの証人として堅く立っていくことができるような、そのような者とならせていただきたい。

「パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている」使徒行伝27:24

ここでもそうだ。船の中でも囚人だったパウロが、人々の存在をまかされる者としてそこに置かれる。もちろん、社会的な地位や権力は百人隊長や船長がもっていただろう。でも、神はパウロに人々の命を任せ、人々もパウロを信頼していた。大切なのは肩書きではない。中身だ。神様との関係で中身を満たしていただこう。

主よ、
どうか、私の中身を満たし、
あなたの証人として、この地上で歩ませてください。
そして、人々にあなたの愛を伝える存在として生かしてください。

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