2013-08-03

ホロコースト記念館。

ちょっとお休みしてしまって、
今日はもう金曜日。8月になってしまっています。

実は月曜日、火曜日と弾丸ツアーでワシントンDCに行ってきました。
月曜日の午後は動物園。


そして、夜は中心部の「モール」に繰り出して夜景を楽しみました。
これは2年前の地震でダメージを受けて改修中のワシントンモニュメント。


そして、その隣には第2次世界大戦の戦没者追悼記念碑。




そして、数日前に緑色のペンキをかけられたリンカーン像。


右足の下のところにまでちょっとだけペンキが残っています。

でも、今回、DCに行った一番の理由は、
下の娘が「ホロコースト記念館」に行きたい、と言ったからです。
火曜日の午後に行ってきました。


私も初めてでした。
そして、ものすごい衝撃を受けました。

ユダヤ人だから、ということだけで、人権を奪われ、自由を奪われ、尊厳を奪われ、命を奪われていった人々。

折しも麻生副総理/財務大臣/金融担当大臣の「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」発言が問題になっていた。

本人は、自分の意図は真逆だと言って譲らないのですが、意図がどうであれ(全文を読むと、支離滅裂だし、ホントに意図がわからないのですが、でも、この部分は普通に読めば、「騒ぐと大変だから、みんなが気がつかないうちに憲法変えられたらいいね、ナチスの時のように」と読めますよね)、あの記念館を見ると、どんなコンテキストであれ、「あの手口学んだらどうかね」なんてどう考えたって言えないですよね。

そして、何よりも、自分にとって衝撃的だったのは、
ほとんどの人々がbystander、つまり傍観者だったということ。
その中に命をかけて(実際に命を落とした人たちもたくさんいます)、ユダヤ人を救おうとした人々がいること。

私だったらどうするだろうか、どうしただろうかと思いました。

そして、出口のところに書かれていた、牧師であったマルチン・ニーメラーの言葉、有名な言葉で、以前から何回か聞いていた言葉ですが、この記念館を見た後で、その言葉が心に深くしみました。



彼らが最初社会主義者のところに来た時、私は声をあげなかった私は社会主義者ではなかったから 
彼らが労働組合員たちのところに来た時、私は声をあげなかった私は労働組合員ではなかったから 
彼らがユダヤ人たちのところにやって来た時、私は声をあげなかった私はユダヤ人ではなかったから 
そして、彼らが私のところにやって来た時、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

私も声を上げられるだろうか?
自分ではない誰かのために。
自分ではない誰かが攻撃されている時に、
傍観者ではなくて、彼らを支える者となれるだろうか?

さて、ずいぶん前のものになってしまいましたが、7/9火曜日の「日々のみことば」
7/9は使徒行伝20章を読みました。

ずいぶん前のことなのですが、心に残った言葉は記録されています。

「だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。 」31節。

パウロは本当に情熱をもって、愛をもって、涙をもって、
一人一人に聖書のメッセージを、イエスのメッセージを伝えた。
そして、さとしてきた。

私にもこの情熱と愛を与えてくださいと、
人を愛し、人に仕えることができるようにしてください、と祈りました。

自分を守ることではなくて、
人を愛することをさせてください、と祈らされた。

主よ、
私もあなたの愛を与えてください。
パウロが愛して祈ったように、
愛して、具体的に語っていったように、
私もそのようにすることができるようにしてください。

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