2012-07-29

幼子のように。

昨日も、今日も夕方土砂降りの雨。
今日は教会にいたので大丈夫でしたが、昨日は水たまりで悪名高きNYのHarlem River DriveからFDRに向かって走っていたので、何度か深い水たまりにハラハラしながら走りました。

明日は雨は降らないようですが、湿度の高めの、蒸し暑い日になりそうです。

一昨日の金曜日ですが、6月に80歳になられた方をのんちと訪問してきました。
2週間ほど前にご訪問した時に、「楽しいことをしましょう」ということになり、時間を作って、ご訪問してきました。
本当にうれしそうに話をしておられる姿に、教会が神を父とした一つの家族であり、一緒に歩んで行くんだなあ、ということを強く思わされました。

そして、何よりも幼子のように喜びを表してくださるその姿が本当にうれしかったです。

昨日は、土曜日だったのですが、カルフォルニアでコンサートに行かれた方がとってもよかった、という話だったので、リンカーンセンターでのフジコ・ヘミングさんのピアノコンサートに家族で行こうか、ということになりました。下の娘がピアノを習っているのですが、音符を追うだけで満足しているようなので、その壁の向こうに行こうという気が起こるようにという願いもあり、goldstar.comというサイトで、40ドルのチケットが10ドルで手に入るというメールも来ていたこともあり、思い切って行くことにしました。

そのカルフォルニアの方の感想が「私も久しぶりにピアノを弾きたくなった」というのが心に響きましたね。何でもそうですが、心がワクワクするようなそういうのがうれしいです。礼拝でも、私の願いは、礼拝の終わった時に「もっと祈りたくなった」「もっと聖書を読みたくなった」という気持ちになる方が起こされるのが喜びです。

で、行ってみたら中規模のホールに満席の人。そして、10ドルはお得でしょう(手数料込みでも16.50ドル)、といういい席で、2時間たっぷり楽しませていただきました。

私自身はやはりよく知っているということでムソルグスキーの「展覧会の絵」がよかったです。ラヴェル編曲のオケ版があまりにも有名になっているので、そのイメージが強いのですが、元々ピアノ用に書かれた曲。楽しそうに弾いておられました。

実はその曲、大学時代のコンサートバンドでやろうということになりました。私のイメージの中では、ラヴェル編曲のオケ版を土台にして、それをブラス版にしたものがいい、ということがあったのですが、プロの音楽家である指揮者の方がそれを拒否。指揮者をやめるかもしれない、というところまで行きました。何とか引き止めて、続けていただいたのですが、この曲をやる条件は、ラヴェル版を土台としない、原曲を土台としたアンサンブルに新しく挑戦する、ということでした。

出来上がったのは今までと全然イメージの違うアンサンブルで、ラヴェル版に慣れ親しんだクラッシックファンには「何これ?」だったのでは?とずっと思っていました。

それはもう、30年も前の話ですが、今回、初めて原曲のピアノ版で全体を聴いて、その方の言うことがわかったような気がしました。

元々はこれだったんだな、と。

最後はリストを3曲。「これを一番やりたかったんだろうな」ということがわかるくらい、情熱的な演奏でした。最後の「ラ・カンパネラ」は下の娘も知っている曲だったので、「ながいー」という感じで聴いていた娘も、このときばかりは食い入るように身を乗り出して聴いていました。

この方も80歳。これがまた幼子のようで。本当に喜びでピアノを弾いておられる。

金、土とお会いしたガールズの姿に「幼子のようにならなければ、神の国にはいることはできない」と言われたイエスの言葉を思い出させられていました。

人は子供から大人になって、また幼子を取り戻すんだな、と思わされます。

ちなみに、このgoldstar.comというサイト、結構お得情報が手に入り、お世話になっています。


今回は特別にお得でしたが、宮古の先生が来られた時に、ダウンタウンの水上バス観光も、半額くらいで行くことができました。これはその時の西の空、ニュージャージー方面です。

きょうの「日々のみことば」から。
今日は第一コリント15:1-11を読みました。

「神の恵みによって、私は今の私になりました。」10節。

パウロが今の自分があるのは神の恵みによるのだ、ということ、本当にそうだと思いました。私もそうでした。そして、一人の人がイエスを信じて信仰をもって歩み出すのは、決して、簡単なことではない、本当に神の奇跡なんだということを思わされています。

だから、いろんな知恵を用いた言葉や、説得力とか、そういうものではどうにもならないのだと思います。

神様の奇跡が必要なんだ、神様が触れてくださること、神様の恵みによって、触れていただくこと、それ以外にないんだと思わされます。

だから、本当に祈って、神様の恵みを待ち望みたいと思いました。
それも、また私たちが幼子のようになること。

主が大きなことをしてくださいますように。

主よ、
あなたの恵みを求めます。
私が何をしたからではなくて、ただ、あなたの恵みによって救われたことに感謝します。
どうか、私のまわりにいる人々、私が出会う人々に、あなたの恵みが届きますように。

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