2012-03-25

礼拝の決意。

今日は先日までよりもぐっと涼しくなって、今は夜の11時過ぎですが、外の気温は9.5度C。今夜は6度くらいまで下がると思います。そして、明日は一日10度以下。久しぶりに寒さを感じるかもしれません。そして、夜はグンと下がって氷点下の冷え込みみたいです。お風邪などお召しになりませんように。

昨日の夜もちょっと書いたのですが、自分の気持ちに正直でありたい、と自分の気持ちの高まりを待って何もしない、というのは、違うんだなあと思います。今日の礼拝の準備をしている中で、イエスもゲッセマネの祈りを通られた、ということに心が動かされました。イエスも、私たちのためにいのちを投げ出す時に、「できればこの杯を取りのけてください」との祈りをささげられた。血の汗を流して祈られた。


私たちが神に従う時に、そういうところを通ることもある。もちろん、喜んで従えることもあるだろう。そっちの方がいいに決まっている。喜んで礼拝できること、喜んで献金できること、喜んで奉仕ができること、そっちの方がいいのは当たり前すぎることだ。


でも、神に従うことに、痛みを伴うこともある。それでも、祈って決意をもって従っていくことも必要なのだ。


礼拝後にはワーシップバンドのミーティング。


礼拝の中でのワーシップリーダーが第一にすべきこと。




「神がここにおられることの宣言」




どう感じるか・・・ではない。
実感があるか・・・ではない。


神の約束だ。


もちろん、神は実感を与えてくださる時もある。
でも、私たちがそれを感じない時にも、神は私たちとともにおられる。


それを宣言することだ。


厳しい状況の中にあって、「神の存在なんかわからない、信じられない」という方がいるならば、なおさら、その中にあって、神の臨在を宣言することだ。


これからも、自分の気分には振り回されないで、決意をもって礼拝を守っていこうと思う。


昨日の「日々のみことば」から。
昨日はルカ20:19-26でした。


「神のものは神に返しなさい」ルカ20:25。

私が神に返すべきものは何か、握りしめているものは何か、しばらく思いめぐらしていました。

教会?
人?
自分の人生?
時?
お金?
からだ?

すべてが神様のものであって、神様の思いのままに、私を用いていただきたいと思わされました。いろんなこだわり、いろんな執着心、そのようなものから自由にしていただきたいと思います。

主よ、
私自身があなたのものです。
あなたの思いのままに用いてください。
私自身の中にある、こだわりとか、自分でここだけは譲れない、と思っているもの、そんなものから、解放してくださいますように。

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