2011-05-09

言葉で伝えるのが難しいもの。

ここ数日、とってもいい天気です。
これ、花粉さえなければ、本当に気持ちのいい日々ですよね。
私もなんだか、出口が見えてきたのかなあと思います。
今日はずいぶん調子が良かったです。

そして、この後もしばらく、木曜日くらいまではこの天気が続きそうです。

さて、今日はひき肉を買ったので(高くなりましたねえ、びっくり)、
いつか作っておいしかった別冊Esse夕食ばんざい肉のおかず(1993年版!)にある「韓国風肉みそ」作りました。
2倍量作ったのですが・・・ちょっと多かったですねえ。
その材料の中に「木の芽」ってのがあります。
お、それうちの「ほったらかし畑」に生えている、と取ってきたんですね。
ちょうど、新芽が出ているところです。
それを摘んできたんですが、


これ、すごい、いい香り。
なんというか、言葉では表せないものです。
よく、料理番組や旅番組でおいしいものを食べて、
一生懸命、どんなにおいしいかを言葉で説明しなければならない姿に苦笑することがあります。無理なんですよね。この木の芽の鮮烈な香りを言葉で表すのは・・・。タケノコが生える庭が欲しい・・・。

でも、やっぱり言葉にする努力、って大切ですね。
私も言葉に関わる働きをしているわけですから、
もっともっと言葉を大切にして、
もっともっと心にあることを言葉にする努力をすべきことを思います。

のんちが日本に行っていて、
日本で経験していること、見ていること、感じていることを、
夫として、もっともっと発信すべき立場にいるんだと思うのですが、
でも、言葉にしようと思えば思うほどおそれが湧いてくる。
一つは、自分の経験ではないことを、
私という地球の反対側にいる者が言葉にする時に、その闘いのただ中にいる方々を傷つけてしまう危険性があるということ。
もう一つは、このような場所で発信する時に、言葉が思いを離れて一人歩きしてしまうことがあること。
そう、ネットというのは、礼拝や集会でお話しすることとはレベルの違う「怖さ」があります。自分の言葉が自分という人間を離れて伝わって行くかもしれない、という怖さです。

ですから、本当に慎重になります。

でも、そのような危険を超えて情報を発信しておられる方々がおられて、そのおかげで伝わって行く事実もあるんですよね。それで、人の目が集まり、差し出される手がある。

情報発信の大切さを思わされています。
恐れないで、でも、本当に心を配りながら、発信することの大切さを思わされます。

のんちは、教会のない山元町にお仕事で行かれている方と、
月曜日に会って、共に祈ることができたと連絡がありました。
きっかけは、twitterです。
これがなかったらつながらなかったでしょう。

あと、先の週末、Facebookで、大学以来の友人や数年前から連絡が取れなくなっていた元JCCNJの方とつながりました。これはまたすごい。

一つ一つのつながりが生かされていきますように。

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