2006-08-03

いのちをこえるいのち

今日も暑かったです。
朝の気温が27度。 バリバリ熱帯夜でした。
そして、昼間の気温は37.4度。(うちの温度計)
午後にはにわか雨がありました。思ったほど激しくはありませんでしたが、
とにかく降りました。
そして、それから気温はぐんぐん下がって、今は夜の11時で24.8度です。
熱帯夜ではなくなりましたが、湿度は高いです。
べたーっとしています。

明日は31度くらいで湿度は高めだそうです。
でも夜からは湿度も下がり、
土曜日からはカラッとするそうです。
是非、当たって欲しいです。

今日はまたいつものような生活に戻り、朝と夜に個人的にお話をする方々が来られて、
日曜日の準備をして・・・でも今週は+JOYJOYキャンプの準備があります。
明日は段ボールを集めに回ります。
教会のジムにはJOYJOYキャンプ名物、段ボール迷路が建設されます。
今年はまたすごいのになりそうです。

かなりワクワクしてきました。

最初の日の聖書のお話の担当にもなっているので、
それも考え中・・・

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の26章を読みました。
今日は最後の晩餐から、ゲッセマネの祈り、そしてユダの裏切り、逮捕、そしてペテロの否認、とたくさんの出来事が出てきます。
その中で心に留った言葉が、イエスが逮捕される時に抵抗しようとした弟子たちに語った言葉です。
「剣を取る者はみな剣で滅びます」

あたっているかどうか確信はないのですが、
9/11以降のアメリカを見ていて、
世界を見ていて、
そしてその中で聖書を読んでいて、
だんだん自分の心の中で「絶対非暴力主義」に傾きつつあります。

たぶん、武力は、「いのち」が一番大切だから、持たなければいけないと思うのだと思います。

攻められたら守れない、だから、強い武力を持たなければいけない、
敵の隠れているところを攻撃しなければいけない、
大量破壊兵器を秘密裏に持っている国はつぶさなければいけない、
そういうことを考えるのは、「いのち」が一番大切なんだ、という世界観に基づいているのだと思います。
もしも、そうでなかったら、恐れる必要なんかないんですから・・・。

でも、「いのち」を守るために持つ武力が、他の国の人々のいのちを踏みつぶしていきます。
自分たちの「いのち」を守るためには、他の国々の人々の「いのち」が犠牲になってもしょうがないのです。市民が犠牲になっても「遺憾の意」くらいで終わってしまいます。
ものすごい矛盾を感じます。

イエスはここで捕まれば、殺される、それはわかっていました。
でも、剣を抜こうとしませんでした。
「いのち」を超える「いのち」を知っていたからです。
そして、自分のいのちが取り去れることが、私たちに「いのち」を与えることを意味していると知っていたからです。

私には難しいことはわかりません。
自分が守るべき、家族、仲間、そのためにいのちを捧げる、という人々の思いもわかります。
自分が守らなければ、誰が守ってくれるんだ?というのもわかります。

でも、私はこの地上のいのちを超える「いのち」を知っています。

そちらを守ることの方に、そちらを語ることの方に使命を感じています。
この地上の肉体のいのちよりも大切なものがあることを語ることに使命を感じています。

イエスがここで剣を取らずに、自分のいのちを与えたことによって、
私たちにいのちを超えるいのちを与えて下さったことに感謝しています。
そして、私自身もそのように、生きるとしても、死ぬにしても、とにかく、この神様の愛が伝わって欲しい、そう思わされています。


イエスさま、
あなたが剣を取らないで、
自分のいのちを私たちに与えて下さったことに感謝します。
それによって私たちに、この世のいのちを超えた「いのち」を与えて下さったことに感謝します。
私もあなたと同じように恐れない心を与えて下さい。
そして、生きる時も、死ぬ時も、あなたのすばらしさを表すものとして用いて下さい。
そのために私を整えて下さい。

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