2006-08-02

思いがけない時に

そして、これが火曜日の分。
丸一日ユースのキャンプで過ごしました。
夜はキャンプファイヤー。
火って不思議ですよね。
特に、燃え上がった後に小さくなった火。
ずっとずっと見つめていたい気持ちになります。

そして、この日は、特に一対一で中高生達と祈る時を持ちました。
純粋な、熱い思い、そして、まるで大人と話しているかのような、
しっかりした考えを持ち始めた彼らの成長の姿に、
熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
12年前にNJに来た時には、9年前にJCCNJの牧師になった時には
考えられなかったような祝福を頂いているなあ、と思いました。

この日、
留守番をしていた娘にきゅうりのカウントをお願いしてあったのですが、
この日の5本で、とうとう100本達成!
先週末に用事があって、○ツワで「特売!」というきゅうりの値段を見て、びっくり。

約1本1ドル!

しっかり元を取りました。

苗からではなくて種から、それも2年前に買った種が残っていたヤツ。

そこにはあまり投資していないのですが、
土や肥料、動物よけの柵、いろいろ考えたら、結構トントンかも。
でも、楽しいです。
とにかく、いろいろ動物にやられても、カリカリしないこと。
ナスなんかはなかなか収穫出来ないでいるのですが、
それでも、「ま、いいか」みたいな気持ちでいようと思っています。
今年は本当に守られています。

ということで「聖書」。
今日はマタイによる福音書24章を読みました。
これはイエスが世の終わりにどんなことが起るかを、話された時の言葉です。
その中で心に留ったのは、44節、「だからあなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」という言葉です。

イエスがもう一度来られる時、それが世の終わりです。
どんな時にイエスが来られても喜んで迎えることができるように準備していなさい、というのがこのイエスの言葉の意味です。

この世の終わりは、誰も経験した人はいないので、どんなのかはわかりません。
でも、人生の終わり、は誰にでも来るのです。

それはある意味、「イエスがもう一度来られる」時ということが出来るのではないかと思います。
ならば、それがいつであっても、喜んでイエスを迎えることができるように、と思います。

今年は9/11に飛行機に乗ります。
日本に行く飛行機です。
いろんな事情を考えて、この日のチケットを取りましたが、
やはり、単なる事情以上の気持ちがあります。

あの日、飛行機に乗り合わせた人々も、
職場に向かっていった人々も、
今日が、自分の人生の最後の日だとはまさか思っていなかったでしょう。

私も、今日も、今日が人生の最後の日だとなんて思っていません。
でも、もしかしたらそうかもしれないんですよね。
日々にそうなんですよね。一瞬一瞬がそうなんですよね。

そして、決して、「今日であっては困る」生き方をしてもいけないし、
反対に、「今日でなければ困る」生き方をしてもいけない。

そのような気持ちを大切にしたいと思いました。

主よ、
私の人生にいつ終止符が打たれようとも、
いつ、あなたが私をお迎えに来て下さったとしても、
喜んで、あなたが来られるのを迎えることができるように、
歩みたいと思います。
どうか、私の心を守り、支えて下さい。
今年の日本帰国の予定も守って下さい。
その飛行機に乗ることを通して、何かが見えるように、なりますように。


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