2013-06-26

いろんなモノから学ぶ。

週末に向けてちょっと忙しくなって、
その後も、お疲れ休みもあり、また溜まってしまいました。

5日ぶりの更新です。
またNJ蒸し暑くなっています。
エアコン故障中+全取り替え必要みたい、
で、先週お客さんの来られていた時に重ならなくてよかったな、という蒸し暑い日が続いています。

さっき(11時過ぎ)からはにわか雨も降っています。

明日もまだ暑いようです。
この熱波、木曜日くらいまで続きそうです。

さて、もう1週間以上前になりますが、
16日の父の日の日曜日、サンディエゴでの礼拝の後、
パスターマックに海に連れて行っていただきました。

あ、その前にダウンタウンのレストランで中華麺をごちそうになり、




スープも、麺も、骨付きダックもうまい。
ダウンタウンがきれいになっているのに驚いて、
そのまま湾にかかる橋を渡ってビーチへ。



サンデェゴのダウンタウンを見渡せるビーチ。
大都市の中心から10分や20分のビーチとは思えないきれいさ。



パスターマック。
釣りをする人たちが気になってしかたなく、桟橋へ。

遊んでいたみたいですが、
いえいえどうして、牧師としての心構え、思わされていること、
いろいろ語り合いました。

いえ、遊ぶのも大切です!遊ぶのは神様とは関係ないなんて思わないでください。
私たちが遊ぶのを神様は祝福してくださいます!と、
今夜の教会での学びでもそんな話をしました。
ダルちゃんとクロダの投げ合いの今日の試合、行きたかったよねえとか、
ひとしきりヤンキースの話をして、帰ったら、イチローのサヨナラホームランが飛び出しましたから、たまらなかったですが。

まあ、それは置いておいて・・・。

で、そんな中で、先生から学んだこと。
本当にいつも先生は感性を研ぎすませておられて、
いろんなモノから学ぼうと言う姿勢を持っておられること。
例えば、映画を見ても、そこから人生へのメッセージを聞こうとしたり、
スポーツの中にも教訓を見たり。

ほんと、机に向かっているのが、牧師の勉強、
膝をついている時が牧師の祈り、
・・・だけじゃないんだ、と思わされました。

もちろん、今回のように静まって、
他のことから離れる中で見えてくるものもある。
でも、人の中に入らないと、いろんなものを見ないと学べないものもある。

もっともっと謙虚に学び続ける必要を感じました。

さて、先週月曜日17日の「日々のみことば」から。
17日はルカによる福音書22章。

「そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、『父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください』。そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。」41−44節。

このイエスの祈りの真剣さ。
このイエスの祈りの激しさ。
自分が祈りながら過ごしている中で、
この祈りの迫力が強く心に迫ってきました。

それはやはりイエスが私たちの罪を背負われたから。
イエスが他のために祈られたのではない、
私たちの罪を背負わなければならないその重さに苦しみながら祈られたから、このような祈りになったのだと思わされます。

もう、自分の祈りがどうだろうかとか、
そんなことは思いませんでした。

ただただ、イエスさまに感謝。
イエスがこの祈りを通って、確信を持って十字架に歩んでいかれたことに感謝。
イエスがすべてを投げ出してくださったことに感謝。

主よ、
あなたの負われた十字架、本当にどれほどのみ思いだったかと思います。
どんなに大きな痛みがあっただろうか、苦しみがあっただろうかと思います。
そこまでしてくださったことに感謝します。
あなたの恵みの大きさに心から感謝します。
あなたの愛の熱さに感謝します。

2 comments:

  1. レクレーション(Re-Creation)を大切にしましょう!神様ほど遊び心に満ちている方はいません。

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    1. なーるほど、Re-Creationですね。神様が遊びを通して、私たちを新しくしてくださる!ですね。来週、牧師館にお泊まりする子供たちのために「遊び」を準備中ですが、子供たちに聖書の言葉を聞いてもらうためのエサとしての「遊び」じゃなくて、子供たちが神様によって新しく形作られていくために「遊び」を見直さないといけないですね。遊び上手になれますように。

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