2011-10-05

青空の中に。

・・・やはり、昼夜逆転中です。

昼間はぼーっとして効率が上がらず、
夜は元気で、寝るのがもったいないです。

ま、寝ますけど。

今までの経験では、がんばりすぎないでやらないとつぶれる、ので、少しずつ日常を取り戻そうと思っています。

この間の日曜日は午前中は近くの牧師不在となった教会の礼拝のメッセージのご奉仕をして、午後にはJCCNJの礼拝のメッセージ。

その午後のメッセージで最後のポイント、「神に聞くことの大切さ」を話しながら、自分はどこまで聞くことをしてきたか、と問われているように思いました。

やはり、じっとしているよりも動いている方が何かしている気分になる。
時間的な余裕なく動いていた方が、自分に価値があるような気持ちになる。

そんな中で、主に聞くことを大切にして、
主の許に休むことを大切にして、
そこから立ち上がって、いくことができるようにと、
自分の価値は、ただ、主に愛されていることの中にある、
そこから立ち上がって行くことができるようにと、
心から願わされます。

今回、ご訪問した方々の中に、
教会も自宅も流されてしまった牧師がおられました。
ご一家で他の場所に会堂を借りて、働きを続けておられます。

仙台市内の「その場所」に連れて行っていただきました。

初めてお会いした先生。
しばらくお話をした後、
遠慮がちに「行きますか?」と聞かれました。
私もお忙しい先生に運転手のようなことをお願いするのは申し訳ないと思いながら、それ以上に見物でもするかのように行くのは申し訳ないと思いながら、「もしよろしければ・・・」とお願いしました。お互いに心の距離感をはかりながら・・・。

「僕も久しぶりに行くんです。台風の後は初めてかな・・・」と言いながら、車の中で、二人きりで少しずつ少しずつ、思いを語ってくださいました。

わかっていました。
映像でいろいろ見ていました。
宮古でも壊滅的な被害を受けた町を訪問していました。
でも、山が海岸まで迫っている宮古と違い、
平野が広がる仙台の海岸部では、
「ここらへんは床上浸水」「ここは一階が水につかった」「ここは二階まで来た」・・・と少しずつ、海に向かって少しずつ被害が大きくなっていき、半壊の建物があちらこちらに残っているのが、リアルに津波の恐ろしさを感じさせられます。何百人も人々が避難した小学校も2階までガラスが割れたまま残っています。

正直に告白しますが、ちょっとだけ、「自分はまだあの余震の続いている中で、妻をこういうところに送っていたのか」と、何もわかっていなかったんだな、と思いました。

・・・そして、その先は草むらの中に家の土台だけが残った土地が広がっていました。

先生はいくつかの思い出を語られた後、言われました。

「私は、ここにお連れしたみなさんにお願いしているのですが、ここで一言、祈ってくださいますか?」

単なる巡礼地や、シンボルのように受け止めてはいけない、
ここには生活があり、宝物があり、思い出が詰まっていたところ、
それがなくなってしまったんだから・・・。
そのように思います。

でも、そのように思うからこそ、青空の中に高く掲げられた十字架こそが、
人々の希望となりますように、と祈らされました。祈っている中で熱い思いがこみ上げて来ました。

連れて来ていただいて、ありがとうございます。


シーサイドバイブルチャペルの内藤牧師と、教会のために、大きな痛みの中にある地区の皆さんのために祈ります。そして、この十字架が多くの人々の希望となりますように。この十字架によって立ち上がる方々が起こされますように。

2 comments:

  1. かきごおり先生。

    本当にご苦労様でした。
    無事にNJの教会にお着きになり、少しずつ日常を取り戻されておられること、ホッとしております。

    過密スケジュールの中、函館までいらしてくださって、ありがとうございました。神さまと共に先生と私たちが、一緒に時間を過ごすことが出来、そして先生が特別に主人にお話してくださったことを感謝いたします。

    シーサイドバイブルチャペル教会と内藤先生と被災された方々に、神さまの祝福がありますように。

    感謝いたします。

    サマリヤの女

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  2. サマリヤの女さん、

    まだまだ昼間はボー、夜は爛々・・・状態なんですが、
    皆さんに許され、支えられています。
    今年もお会いできたこと、
    サマリヤの女さんが喜びにあふれて歩んでおられるのを拝見することができたこと、とても幸いでした。

    どうか、ご主人も更に主が触れてくださいますように。
    お祈りしております。

    感謝しつつ。

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